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孫正義 おすすめ本

孫 正義(1957年8月11日)

 

 

⭐️まとめ

孫正義の考えでは、アートとテクノロジーを融合させた偉人として、ダヴィンチの次にジョブズを挙げた。

習慣として、1日1アイデアを出す、しかも5分以内に思いついたものだけ。

⭐️

 

 

 

 「日本の労働生産性はRPA(ロボットによるプロセス自動化)とAI(人工知能)で上がる。人間は(生まれた余剰時間で)創造性を発揮できるだろう。これが日本復活のシナリオだ」

 

君は人生でなにをなしたいのか
みなさん、こんにちわ、孫です。今日は、人生の限られた日数のなかで、同じ部屋で同じ空気を吸って、約2時間の時を共有します。せっかく来ていただいたわけですから、私も精一杯、私が何を考えてきたのか、ソフトバンクが何を考えているのか、情報革命とは何なのか、伝えたいと思います。

まず、集まっていただいたみなさんは、新卒として自分の将来を決める社会の第一歩を踏み出そうとしています。今日は初めて中途採用の皆さんにも集まっていただいております。その皆さんにとって、人生の転機、岐路に立っているということになるのかもしれません。

私も学生の時、卒業をしたら自分がどういう人生を過ごすのか、ずいぶん悩みました。悩んで悩んで悩み抜いた挙げ句に決めました。それがいまのソフトバンクであります。

その人の人生で一体何をなすのか。このことを考えることは、おそらく人生でいろんな質問があるなかで、自分自身にとって一番大切な質問ではないかと思います。ピアノを買いたい、家を建てたい、かっこいい車がほしい。いろいろな夢があると思います。

夢と志は違う
みなさん、夢という言葉と志という言葉、この似ている2つの言葉の定義の違いがわかる人は手を挙げて下さい。

5%ぐらいの人が手を挙げていますね。95%の人はなんとなくおぼろげながらに夢という言葉を聞き、志という言葉を聞いています。ピアノを買いたい、家を買いたい、車を買いたい、これらは夢の1つとして言えます。

しかし、それらのことが「私の志だ」と表現をする人はあまりいないですよね? 

つまり、個人の欲望、個人の願望を満たすのが夢です。多くの人々の夢、多くの人々の願望、多くの人々が困っていることを助けてあげたい、こういったことを指すときは志と呼ぶんです。少なくとも、侍の心、武士の心と書いて、志という風に書きます。

私は自分の人生で何をなしたいかという場合、「志高く生きていきたい」と思うわけです。

つまり、自分の、個人の、1人のエゴを満たすような、そういう願望を満たすようなことではない。100万、1000万、億万の人々に、喜んでもらいたい。そういう風な人生を過ごすことができたらいいなと思います。座右の銘を時々聞かれます。1つだけ挙げるとすれば「志高く」と答えます。

涙があふれて止まらない
そんな孫氏の志は、「情報革命で人々を幸せにすること」。そう思うようになったきっかけは、アメリカでの大学生時代にあったと言う。

そもそも私は、どういうきっかけで人生の岐路に、思い至るようになったのか。まだ私がカリフォルニア大学バークレーの学生の頃です。当時のことはすごく良く覚えています。

道を歩いていて、そこには落ち葉がたくさんありました。そこで、車を降りて、『ポピュラーエレクトロニクス』という電子機器関連の雑誌をパラパラとめくっていたんです。そうしたら摩訶不思議な幾何学模様のような写真が1ページ紹介されていました。

「何だろう?」と、とっても不思議に思ったんです。そして、それを1ページめくってみると、指先の上にのったマイクロチップの写真が現れた。なんと、この小さなチップがコンピュータだというんです。


マイクロコンピュータが生まれたばかりの時だった。当時の私は、IBMなどの大型コンピュータのプログラミングを授業の一環として勉強していました。しかし、まさかどでかいコンピュータがこんな小さなワンチップに化けるなんて、当時はまったく思いもよりませんでした。

このことを知った瞬間、私は雑誌を握っていたんですけど、両手の指がジーンと痺れたんです。手足の指が全部痺れてジーンときた。

みなさんも映画、音楽、本に出会ったとき、感動のあまりにジーンと痺れることがありますよね。あの痺れる現象は、一瞬で血液が脳に集中するからだと思います。手足の毛細血管の血流が乏しくなった結果だと僕は勝手に思っています。

まさに、そのような状態で、涙があふれて止まらなくなったんですね。立ちすくんでしまった。

ついに、マイクロコンピュータが人間の脳を超える。しかも、それがあらゆる人々の手に入る。大学や政府の大型コンピュータではなくて、一般の人々が扱えるほど安くなり、あらゆるところにあふれるようになる。それが人間の脳細胞の働きをいつか超えると予感したんです。

その人生を変えた写真はハサミで切り取って透明な下敷きに入れていた。

毎日持ち歩き、寝るときは枕の下に敷いてほうずりしながら寝ていた。リュックサックの中にも入れて、勉強するときもノートの下に敷いていた。もう毎日ことあるごとに見つめて、にこっとしていた。おそらくその姿を見ていた隣の人は気持ち悪いと思ってたんじゃないかな。それくらい感動して、半年間毎日抱いて寝ました。あんまり大事にしすぎてどこかになくなっちゃったんですけどね。

感動したら即行動
マイクロコンピュータとの出会いの衝撃から、孫氏はさっそく行動に移す。ある画期的な製品を開発することになるのだが、それがソフトバンクの創業へとつながっていく。

ソフトバンクは福岡の小さな街のなかで生まれました。

そしてすぐに東京に本社を移しました。初年度で36億円くらい売り上げたんですよ。40年近く前、私が22~23歳ぐらいの時にソフトバンクを創業しました。初年度の売り上げで36~37億円、2年目で約100億円ぐらいの会社はいまでもあんまりないと思いますね。もっとも、初年度は日本に帰国してからソフトバンクを始めたわけですけど、創業する資金はどうしたのかと問われるならば、私が19歳の時まで遡ります。


みなさん、このなかで、電子辞書を使ったことのある人は手を挙げてください。ほぼ全員ですね。その1台目のマシーンを最初に発明したのは誰だか知っていますか? 私なんですね。

それまで世の中に電子辞書というものは存在していなかった。さきほどのマイクロチチップの写真に感動して、即行動をおこして、このマイクロコンピュータを使ったら何ができるかということを考えた。

マイクロコンピュータを使って、LEDのディスプレイをつけて、フルキーボードをつけて、アプリケーションとしては辞書の翻訳をつけた。19歳のときに、最初の電子辞書を発明し、特許も出願しました。

「僕のもとで働いてみませんか?」
試作機も作って、通っていた大学の教授と助教授を6人くらい雇いました。学生の僕が、自分の大学の教授に対して「僕のもとで働いてみませんか?」と誘って、プロジェクトチームを起こした。そして試作機を作ってその特許を取りました。教授たちには時給でお金を払いました。

最終的に余ったお金が1億7000万円。もうひとつ、コンピューターゲームのプロジェクトもやって、そちらも1億5000万円くらいでした。1年半で3億2000万円ほど稼いだ。それが、ソフトバンクの創業の資本金になったわけですね。

40年前の3億円っていうのは当時のお金ではなかなかのものですよ。ですから、僕は本当は、自分でモノを発明し、開発し、生産し、世に売っていくような人生を歩むこともできたんです。

当時思ったのは、自分の脳細胞の価値や範囲には限界があるんだと。

自分よりももっと賢い、自分よりも素晴らしいアイデアを持った人はたくさんいるはず。だから、自分のアイデアや作品1つに頼るよりも、世の中の多くの知恵のある人々、開発できる人々、彼らの力を全部集めて、その開発したプログラミングやデータなりを何千万人の人々に共有してもらう。

そういったプラットフォームを作ったほうが、自分の知恵がボトルネックになるよりは良いじゃないかと思った。そういうプラットフォームを作ろうということで、「ソフトのバンク」、ソフトバンクを起こしたわけなんです。まぁ、そういう自慢話はどうでも良いんですけど。でもちょっとだけ自慢したかった。せっかくたまにしか喋らないので、みなさんに自慢してみましたけども。

絶望にどう対処するか
創業して間もないソフトバンクの経営は絶好調。しかし、孫氏はその最中に大きな挫折に直面し、絶望するハメになる。

娘も2人生まれて幸せな生活がスタートし、意気揚々とした創業でした。

創業して2年目の時に、会社の健康診断をやったんですね。そしたら、引っかかったんです。即入院することになり、余命5年だと言われました。肝硬変の直前の慢性肝炎でした。


まあ、泣きましたね。本当に心の底から泣きました。病院のベッドで、一人でいると、やっぱりいろんなことを思うんですよね。

なんで俺なんだ、と。なんで俺がこの若さで肝臓を患うんだ、と。3年半は入退院を繰り返しました。怖くて悲しかった。絶望しました。

それなのに、病院を抜け出して毎週会社に行きました。会社の経営会議、役員会議ではどうしても決断しなければいけないテーマがいくつもあるわけです。創業して2年ですよ。

ですから、いろんな難題があり、意思決定しなければいけないことがいっぱいあった。病室を抜け出して会社に行くわけですけど、主治医の先生からこっぴどく叱られました。「孫くん、何をしているんだ? 自分で自分の命を縮めてどうするんだ? なんのために自分の命を縮めるような行為をしてでも会社にいくのか?」と聞かれました。


確かにそうですよね。自分で自分に問いまいした。お金のためか? 名誉のためか? なんのために病院を抜け出して、命を縮めてまで会社に行くんだろうと問いました。

何のための会社か
そうなると、欲しいものなんてなくなるんですよね。

毎日パジャマで過ごしているのでかっこいい服を着ようなんていう欲望は消え失せます。かっこいい車が欲しいなんてサラサラ思わない。家なんて、どうせ5年で死ぬんだからいらない。お金を稼いだって5年で死んじゃうんですよ。突然死ぬよりある意味つらいです。だって限られた人生で余命を宣告されるわけですからね。

そういう中でつくづく考えました。何のための人生か、何のための会社か。

その時に、私が心の底から思ったのは、見栄とか、格好とか、大義名分とか、社会的に形式張ったこと、そんなものはどうでもいいと。本音でいらないと思いましたね。では、自分は何があったら幸せかというと、生まれたばかりの娘や家族の笑顔をみること。もうそれだけで幸せだと思いました。そのためなら残りの人生を捧げたいと思いました。

ふと思ったのは、家族の笑顔だけでいいのかということ。一緒に創業した社員は家族同様なんです。彼らは自分の家族の延長線で、彼らの笑顔も見たい。じゃあ、彼らの笑顔だけで良いのか。

地位も金も名誉もいらない
初めて僕の言葉を信じてお客さんになってくれた大切な恩人がいるわけです。彼らはある意味、家族以上に大事な人かもしれない。あの人たちの笑顔もやっぱり見たい。

それだけで良いのかというと、あの人たちは会社を代表して付き合ってくれたわけで、その後ろには50人、100人、1000人の社員がいる。本当はその人たちの笑顔も見たいな。


けっこう僕は欲張りなんですね。

そう思ってみると、本当はそのお客さんだけではなくて、地球の裏側にいて一度も会ったことがないような、リンゴをかじりながら泥だらけになって遊んでいるニコッと笑う女の子のイメージも湧きました。

誰に感謝したら良いかわからない、ソフトバンクの名前すら知らない、でもニコッと笑って感謝してくれる女の子。そんなイメージを描くと、もう地位も、金も、名誉も何もいらないと思えた。

その女の子の笑顔を想像すると鳥肌が立ちましたね。それなら俺は生きてみたいと思ったわけですね。つまり、建前を抜いて、本音で最終的に思ったのは笑顔だった。人々の笑顔のために人生を捧げたい。

病室のベッドの上で真剣にそう思ったんです。生きる希望が、生きる欲望が湧いてきた。

そしたら、不思議なことに生き返っちゃったんですね。生き返ったら俺はとことん仕事をするぞと言っていました。もし幸運にも5年じゃなくて、もっと長く生きられたなら、俺はとことん仕事をして、人々の笑顔のため、そのためにやるぞと思いました。

情報革命はお金のためではないです。地位や名誉のためでもないです。人々の笑顔のために人生を捧げたいと、心の底から思うようになったんです。

この日、孫氏は予定時間の2時間を超えてなお、「ごめんなさい。もう少しいいですか?」と語り続けた。その言葉は「未来の日本を背負う人材」に、どう響いただろうか。

資産1兆円を手にするとどうなるか
病気から復活した孫氏を待ち受けていたのがインターネットの夜明け。

2000年直前、ドットコムバブルが到来し、ソフトバンクの株価は絶頂に達するのだが……。

ちょうどアメリカではヤフーが生まれたばかりでした。

まだ社員が6〜7名の頃に、我々が資本を100億円投入し、アメリカのヤフーの筆頭株主になりました。そしてYahoo! JAPANをジョイントベンチャーで作りました。

さらにこのとき、日本のインターネットのインフラは先進国のなかでも、高くて遅い状況だった。そして社会正義にかられて我々はNTTに挑戦しました。これがブロードバンド革命です。

実はこの時ですね、ソフトバンクはその直前の2000年の頃、株価が絶頂期でした。

僕の個人資産が、ビル・ゲイツを超えたこともあります。世界一の大金持ちはビル・ゲイツでしたが、3日間だけ僕が彼を抜いたことがあります。あまりにも短すぎて記録にもならなかったけど。その時、僕の個人資産は1週間に1兆円ずつ増えていってたんです。


みなさん、1兆円を手にしたことのある人、手を上げてください?

ないでしょ〜。言っとくけど、そんなに簡単に手に入らないからね。それが、1週間に1兆円ずつ増えていくわけですよ。

そうするとね、なんかおかしくなりますよ。もはやお金が記号になるんです。毎週1兆円ずつ増えていくといろんな人が寄ってきます。それこそ満面の笑みで寄ってきます。さっき僕が言っていた人々の笑顔とは違う笑顔でやってくる。ニタ〜って笑って寄ってくる。

ちょっと人間不信にもなったりして、お金が嫌いにもなりました。そういう贅沢な気持ちもあまり味わったことないでしょ? 

だから、お金はいろんなところに寄付したいと思っていた。でもどこに寄付するんだろうって考えてたら、神様が答えを出してくれました。

ネットバブル崩壊です。

どん底を楽しめ
数ヵ月で株価が真っ逆さまに落ちていった。

99%下がったんですよ。ソフトバンクの全体の時価総額が20兆円だったのが、2000億円まで下がりました。100分の1にまで下がったどん底のところで、僕は「よし!」と思った。

神様がワシに試練を与えてくれたと思って、これはこれでおもしろい人生じゃないかと。


ついこの間まで、人生が記号のような、銭金が勝手に押し寄せてくるような、そんな状況になっていたのが、どん底に陥ったわけです。逆に闘争心が掻き立てられ、ガァーっとアドレナリンが湧いてきたんです。

俺はネットバブルで実力以上に評価されたりしたけど、本当の俺の底力を見せてやるぞと思いました。「いよいよ戦うぞ!」というような強烈なやる気が沸き起こってきた。死にかけた男が生き返ったわけですから。なんぼのもんじゃい、会社が潰れてでも戦うぞと。

どうせ戦うなら日本で1番大きい会社と戦おうと思ったんです。

普通の会社と戦ったら弱者いじめをしているみたいで、なんとなく気がひける。一切の手加減をせずに、全力をあげてぶち当たってやるぞと。

相手は日本一大きな会社。NTTですね。


大きい相手に挑め
日本国政府筆頭株主の会社で、100年間独占していた会社です。法律で独占のポジションを守られた会社。よし、あいつらのせいで日本のインターネットが遅くて高いなら、これを変えてやると挑戦を決めたわけです。やつらの料金の3分の1……実は4分の1の価格で、通信速度は100倍のサービスに挑戦しました。

3日間で100万件の申し込みがきました。

徹底的にやる
今でこそCMをたくさんやっていますが、当時は宣伝も一切なし。ニュース報道だけで100万件の申し込みが3日間できたんです。革命的な価格と性能だったからきたわけです。

ただ、これをつなぐためにはNTTの局舎に入って、その中で我々の通信機器とNTTの接続ポイントとを繋がなければいけません。こいつらがですね、繋がせないわけですよ。

技術的にはできるんだけど、先に書類で手続きをしないと繋いでくれない。この書類がまた役所仕事のように遅いわけです。書き間違いがあると全部がやり直し。まあひどいということでブチ切れました。


それで総務省に行って、総務省の課長に何とかしてくれと頼んだんです。あいつらはひどいと。何とかしてくれないなら記者会見をしてやる。

いかにNTTがひどいか、それを管理監督している総務省もいかに無能かということを、全部ぶちまける。そして、記者会見した直後に、俺はここで灯油をかぶって逝きます、と言ったわけです。

そしたらその課長が「え、ここでですか?」と言うんです。貴様、ここじゃないならいいのか、って腹が立ちましたね。私が机をバンバン叩くので、しまいには課長が泣きだしてしまったんです。冗談抜きで、100万人の人々を待たせていることに責任感と罪悪感を感じていたわけです。

挑戦を繰り返せ
当時は4年間で1000億円の赤字を出しました。しかも、このときは株価が暴落して時価総額が2000億円まで下がっていた。

2000億円しかないのに4年連続で1000億円ずつ赤字を出したら足りないじゃないですか。算数が合わないわけです。なのに、なぜか生き残った。しぶといよね。

生き残る術は色々と身についているんですけど、とにかくラッキーも含めて生き残りました。どうせ病院で死ぬはずだった俺だから、死ぬ気になって戦って、結果として日本のインターネットはどうなったか。日本は先進国のなかで、世界一安くて、世界一速いブロードバンド大国に生まれかわった。

みなさんね、日本に住んでいて、インターネットが速いのが当たり前のように思ってるでしょう。当たり前のように、ヤフー、グーグル、楽天が速いと言って使ってるでしょう。誰のおかげだと思います? ちっとは感謝せなあかんよ! ワシが命がけで病院から出てきて戦わなかったら日本は世界一高いままだったかもしれない。

ブロードバンドへの挑戦に勝った孫氏は、勢いそのままに「次の勝負」に打って出た。あまりに無謀な挑戦に周囲は反対の嵐だったが、じつは孫氏には「秘策」があった。

ソフトバンクも生き残って、4年経った後にやっと黒字になった。黒字になったと思った瞬間に次の戦いがあった。インターネットはパソコン中心の時代からモバイル中心の時代に変わるぞ、と私が言い出した。

社員や幹部は大慌てですよね。銀行も大慌てでした。やっと4年の赤字から脱したのに、もう1度挑戦すると。病院から復活してね、もう挑戦したくてしょうがなかった。

借金は怖くない
どうせ取り戻した命なんだから、生きているという証が欲しい。生きているという快感を得たい。

だったらもういっちょ勝負するぞということで、ボーダフォンジャパンの買収を行いました。1兆8000億円。当時、うちの会社の時価総額が6000億ぐらいでした。それなのに1兆8000億円の会社を買うわけです。みなさん、この算数できますか? 普通だったら買えないよ。


ソフトバンクは借金だらけで大丈夫か、と言われてました。みなさん、うちの会社に来るとなると、「ご両親はソフトバンクは大丈夫か? ソフトパンクじゃないのか?」とか言うかもしれません。あそこは借金だらけだと聞いているぞと。

大丈夫です、借金、慣れてるんです!

もうね、借金が多いなんていまに始まったことじゃないから。もうずーっとなんです。しかもはるかに小さい時に、はるかに身の丈を超えた借金を経験している。それでも生き残っているんだから、それなりのノウハウが身についているわけです。買収時にお金は2000億円しかありませんでしたが、1兆8000億円の買い物をしました。どうやって残りの1兆6000億円を手にしたのかというのは、まあいろんな工夫の結果です。

とにかくやっちまったということです。


そしたら、すぐに週刊誌で「孫正義は1兆円をドブに捨てた」と大々的に書かれて、さらに株価が下がった。1週間で6割株価が下がった。やっと赤字から黒字に戻って、1週間でまた6割株価が下がってしまった。もうめちゃくちゃなジェットコースターですね。株主は怒るは、銀行は怒るわ、幹部も怒るわという状態でした。

ただ、私には秘策があったんです。当時は誰にも言っていませんでした。ソフトバンクの中でも知っていたのは2〜3人。私には1.8兆円の勝負をする自信があった。

その秘策が、この男であります。

スティーブ・ジョブズ。彼がまだiPhoneを発表する前です。彼に会いに行きました。

「男の約束を守れるかい?」
「スティーブ、これを見てくれ!」と言って、私は手書きの図面を見せたんです。「これを作ってくれ、あんたにしかできないだ。なぜなら、あんたはアイポッドを持っていて、MacのOSを持っているだろ? このアイポッドMacのOSをくっつけて、アイポッドのディスプレイをもう少し大きくする。それに通信機能を入れたら、これはモバイルインターネットマシーンになる。インターネットがPCからモバイルに切り替わるタイミングであんたがこれを作るんだ」と言いました。

図面を見てくれと渡そうとしたら、「マサ、そんな汚らしいものは引っこめろ」と見てくれないわけです。


俺の書いた図面が気にくわないのはわかった。でも、お前のニタっとしたその笑顔の裏にはきっとこれに相当するものを作っているに違いない。「そうだろ?」と言ったら、「俺は喋らない」と答えたわけです。超秘密主義の男ですからね。

喋らなくていいから、お前さんが作っているそれが完成したら、日本での独占権は俺にくれ。俺をパートナーとして選んでくれと言ったら「マサ、それじゃあ俺の家に来い」となった。

彼の家の行って続きの話をしました。「わかった。お前に独占権をやる」と言ってくれた。それじゃあスティーブ、ちょっと一筆書いてくれと頼みました。

ティーブは笑いだして「そんなものは書けない。だいたいお前は携帯会社として日本のライセンスすら持っていないじゃないか。携帯会社にもなっていないのに、独占的によこせ、一筆書けなんて要求しすぎだよ。まず出直して、携帯の電波の許認可をとって、それから戻ってこい。そしたら続きの話をしよう」と言われた。

よし分かった、あんたの言うことは理にかなっている。だけど、忘れないでくれよ。俺が電波の許認可をもらい、その会社を始めて戻ってきた時には、あんたが俺に独占権をくれると言った約束を果たしてくれよ、と言ったわけです。それから2週間後に1.8兆円でボーダフォンジャパンを買うという契約に調印をして、スティーブのところへ戻っていったわけです。

「スティーブ覚えているかい? 男の約束を守れるかい?」と言ったら、彼はまたニタっと笑った。「覚えている。俺は約束を守る」と言った。


彼との口約束一つで1.8兆円の賭けにでたわけです。巡り合いというのは面白いですね。彼との巡り会いがなければ1.8兆円の勝負にも出なかったし、今のソフトバンクもないということになります。

彼がすごいのは、単にアイポッドを電話にしたわけではなくて、ありとあらゆる機能を一つの製品に入れてしまったことです。それがiPhoneだった。おそらく300年後の世界で、名前が残っているとしたらスティーブだと思います。

レオナルド・ダヴィンチはテクノロジーとアートをクロスオーバーさせた。当時最強のテクノロジーだった医学、物理、化学を操る頭脳をもち、モナリザのようなアートまで書いた。アートとテクノロジーをクロスオーバーさせた最強の1人目がダヴィンチだとすると、2人目はスティーブ・ジョブズだと思います。

単なる電化製品は世の中にたくさんありますが、アートと呼んでいい初めての製品がiPhoneだったと、私は思いますね。まさに人々のライフスタイルを変えた、尊敬に値する男だと思います。

 

毎日5分、1つアイデアを考える
ソフトバンクグループ創業者・孫正義は「フォーブス」誌の日本長者番付の常連だ。


2017年からは連続で第1位につけている。グループの時価総額によって順位が変動することもあるだろうが、息の長いIT長者が少ない日本にあって異色の存在である。

彼は19歳のとき、カリフォルニア大学バークレー校に留学し、経済学を専攻した。

食事と睡眠以外のすべての時間を勉強に使っていたが、時期が悪かった。日本の父が病気で倒れてしまい、家族から送金してもらっていた毎月20万円の留学資金が途絶える恐れが出てきたのだ。

最初から留学には無理があったのだが、いよいよ自分でお金を稼がなければ家族に迷惑をかけてしまう。だが、勉強漬けの孫にはアルバイトに使う時間はなかった。

普通の人なら、勉強時間を削ってアルバイトをしたはずだ。

だが彼は、「1日に5分だけ働いて、ひと月に100万円以上稼ぐ方法はないものか?」と本気で考えた。友人は驚いて「バカな考えは捨てて、カフェでアルバイトしたほうが良い」とアドバイスしたが、孫は折れず、実用化を視野に入れた発明をすれば、それを企業に買ってもらえると思いついた。

そして毎日5分だけ使って、1日にひとつ発明をする習慣を自らに課した。


この習慣には、考える時間は毎日5分に限ること、5分考えてもアイデアが無ければ、その日は諦めることという2つの原則があった。毎日5分の発明を続けるうちに、発明方法にも法則が見えてきた。孫はそれを3つに分類した。

第一に「問題解決法」。その名のとおり、すでにある問題を見つけて、その解決法を考える方法だった。

第二に、「水平的思考法」。たとえるならば、大きなものを小さなものに、小さなものを大きなものに、四角いものを丸いものに変える方法だ。

第三は、「強制結合法」。ラジオとカセットを組み合わせると、ラジカセになるように、既存のものを組み合わせる方法だった。「強制結合法」はもっとも多く活用され、孫はこのために300枚ものカードを作って、そこからランダムに2枚選び、結合させてみたりしたという。

この習慣を続けて多くのアイデアが集まると、その発明の中でもっとも成功の可能性が高いものを選択した。それは「音声つき自動翻訳機」だった。彼が大学の教授を説得してこれを開発し、シャープに売ったのは有名な逸話である。

彼の習慣で面白いのは、発明という創造的な行為に、「毎日ひとつ」というノルマを設定した点だ。「毎日5分」という時間の制限も、集中力を高める効果がある。

一生続けることもできるし、必要な時期に良いものが生まれるまで続ける、といった使い方も可能だ。誰でもマネできる、汎用性が高い習慣だといえるだろう。