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世界の賢人をピックアップして、賢人のおすすめ本を紹介します!

堀江貴文 おすすめ本

堀江 貴文(ほりえ たかふみ、1972年10月29日 )

 

 

⭐️まとめ⭐️

ホリエモンの考えとして、楽しむ事、遊びをビジネスに変えられるセンスが大事としている。何より直ぐに行動する実行力を求めている。

また、教育者に関しては、キュレーションでいいと言っている。

⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️

 

次に読みたい本

 

 

結局何をやるにしても気合と根性ということになります。ものごとを複雑に考えずにシンプルにやるべきことをやる。

  

 

iPhone Xが証明する画像認識能力の高さ
AIやロボットは着実に、私たちの仕事や生活に採り入れられている。今後、何が起きるのかについて、身近なAIやロボット技術の一端を紹介しながら考えていきたい。


まずは何と言ってもスマホだ。

AIを搭載したアプリがどんどんリリースされているが、スマホ本体で言えば、顔認証システムが、AIによる画像認識の技術によって、画期的に進化した。スマホは個人情報の宝庫であり、認証システムの強化がますます重要になっている。

その進化を最初に感じたのは、2017年にリリースされたiPhone Xだ。新たな搭載機能として、顔認証システムの採用が大きな話題となった。それまでの指紋認証・ホームボタン方式からの大胆な仕様変更だ。私も使ってみたが、認識の精度の高さは、なかなかのものだった。

iPhone7くらいまでの機種では、私の指紋が薄いのか、ときどき認証してくれず、ややイライラしていた。わずかな時間ではあるが、認証の頻度が半端ないだけに、積み重ねれば大きな時間のロスとなっていただろう。

だがX以降は、認証ミスのストレスはほとんどない。AIを駆使した画像認識能力の高さの証明だ。Xの直後に発売されたXSシリーズは、快適性がさらに向上していた。ネット接続同様、この分野では秒単位でのサクサク感の向上が、勝負の分かれ目となるような世界だ。

画像認識技術で無人店舗が広まる
スマホのAI化はどんどん進んでいく。

開いた瞬間に、使い手が何をしたいかを先回りして提示したり、逆に使わない機能やアプリなどを自動的にセーブして省電力化したりするなど、ますます使い勝手が良くなっていくのは間違いない。スマホにも、「手」や「足」という身体性を持たせようという研究だって、どこかで進んでいるはずだ。

現在、最も進化しているAIの「目」、つまり画像認識の技術は、無人店舗の登場を劇的に進めていく可能性を秘めている。

無人コンビニをはじめとする無人店舗は、買い手の買い物スピードの向上や、売り手の人件費の削減という点から、いずれは世界中でどんどん広がっていくだろう。

しかし、いま中国などで急速に広まっている無人コンビニの多くは、最後に客が商品をひとつひとつレジシステムにかざし、瞬時に読み取られた商品情報から決済金額が提示される仕組みだ。

アマゾンが模索する「無人コンビニ」の仕組み
中国ではQRコードが主流だが、現在、多少のコストはかかるが、RFIDICタグなどから電波を介して情報を読み取る非接触型の自動認識技術)も主流になりつつある。タグなどに埋め込まれたICチップを介して、商品情報が瞬時に読み取れるため、カゴから商品を出す手間も省けるシステムだ。

有人、無人に関わらず、広く導入が進んでおり、ユニクロでも採り入れられている。ユニクロも、無人店舗の形態を探っているのかもしれない。

これに対して、アマゾンは画像認識の技術だけを使い、「Amazon Go(アマゾン・ゴー)」という無人コンビニを実現させようとしている。要するに、店内に設置された複数のカメラやセンサーが客の行動を追跡し続け、どの商品をバッグに入れたか、戻したかなどを解析。客はレジでの決済をすることなく、そのまま店舗から出れば、後にクレジット決済される仕組みだ。

スマホをかざすのは入店時のみ。いずれは顔認証などで、入店時にスマホをかざす手間もなくなるかもしれない。


無人コンビニ実現を阻む「防犯」という課題
もちろん、どちらの方式であれ、AIによるリコメンド機能はより強化されるだろう。ネットショッピング同様、客のデータはどんどん蓄積され、リアル店舗においても、その人に向けて、時々のオススメ商品をスマホなどに提示してくることになるだろう。

2018年秋、日本でも赤羽駅のホームに、無人コンビニが実証実験の一環として期間限定で設置された。こちらもAIによる画像認識技術が駆使され、客は入り口と決済時に電子マネーをかざし、利用する仕組みだ。販売員不足への対応と、採算性が厳しくなっているキオスクの再生が目的というが、利便性は高く、普及していく可能性は高い。

しかし、いずれも防犯という点ではまだクリアできていない課題が多く、利用に際してさまざまな制限がある。

万引きを検知するのは、実はけっこう難しい。というのも、ディープラーニングするための「教師データ」の量が、足りないのだ。

それはそうだろう。万引きの実例を集めるには、うまくいった万引きを大量に再現しなければいけない。でも、どうやって? 人の目をすり抜けるような巧妙な手口を、いかにして再現すればいいのか?

 

 
 

民間ロケットエンジンの開発から「マンガHONZ」「WAGYUMAFIA」と多彩な活躍を続ける堀江貴文さん。「お金」とは何か? 「人間の本質」とは? じっくり語っていただいた“特別授業”を『マンガでわかるお金の教科書 インベスターZ[ビジネス書版]vol.1』(2016年刊)から期間限定で公開する。
「お金が好きか?」という問いはおかしい
メルマガや著作などの発信活動で、だいぶ変わってきたとは思うのだが、いまだに“堀江貴文は「金の亡者」「お金が大好き」”というイメージを持たれている。なぜだろう? お金を大好きだと思ったことは、一度もないのに……。

以前、講演イベントでこんなことがあった。

お客さんとの質疑応答の際に、「自分はお金のためには仕事をしていない」という経営者の男性にくってかかられた。「おまえは、どうしてそんなにお金が好きなんだ!?」と。せっかく質問してくれたのだから、きちんと答えたいのだが、いくら考えても質問の意味がわからない。


お金が好きとは、どういうことだ? 私はこう答えた。

「自分にとってお金は、爪切りと同じです。爪が伸びたら使う道具。必要なときに、必要なことをしてくれる道具に過ぎません。僕からすると、『どうして爪切りが好きなんだ?』と質問しているように聞こえます。答えようがありませんよね。あなたは爪切りのこと好きですか? と聞かれたら、どうしますか?」

そして「本当にお金が好きで、お金にとらわれているのは、あなたのほうではないのですか?」とつけ加えました。すると男性はバツが悪そうに、黙ってしまった。

いろんな著書で言っていることだが、お金はただの道具だ。それ以上でも以下でもない。ただし、道具としては万能過ぎるのかもしれない。だから誤解が蔓延っているのだろう。

お金の本当の本質は「信用」だ。 お金は、信用を数値化したものにすぎない。

物を手に入れる、人に貸す、ビジネスを進めるなど、必要な求めに応じてくれる信用を、国家が数値で保証している。流通しやすいよう一応、紙幣や硬貨としては存在するが、ただの紙であり、ニッケルや亜鉛に過ぎない。オンライン上の数値だけで、その役割は問題なく果たせる。

信用がお金の本質。

結論はそれに尽きるが、財布や金庫にある紙幣や硬貨が、本質を見誤らせている。紙幣がどれだけ束になっていても、その物体に紙束という以外の価値はない。けれどほとんどの人は、財布に紙幣がたくさんある状態を、強く望んでいる。

紙幣をありがたがるのは、新興宗教の教祖の発行したお札を、ありがたがっている信者とまったく同じ。大事なのは教祖の説く教えのはずなのに、お札があれば幸せになれると勘違いしているバカと何も変わらないのだ。

一方で、信者にとって信用が、お札にあるというなら、文句は言えない。お札に平気で何百万円も払ったりするのも、御利益という信用が、その代価なのだ。

たとえば会社の社長が1000万円で掛け軸の絵を買ったとすると、社員からは「なんであんなものに1000万円も払うんだ?」という声があがる。それは社員が掛け軸を信用していない、1000万円の価値を見出していないからだ。

人は自分の信用を基準にして、物の値段を決めている。紙幣や貨幣、つまりお金は、その数値の代理的な役割を果たしたものでしかない。

だから好きかどうか、という問い自体がおかしい。形のない、曖昧な概念の信用に対して、好きも嫌いもないだろう。 私が爪切りに対して「爪をきれいに切ってくれる」、それ以外の感情を何ひとつ持っていないことと同じだ。

そういった基本的な概念は、簿記や会計を学べばすぐわかることなのだけど、ほとんどの人は教わる機会も、教わろうという気もない。残念なことだ。

信用を生みだすのにハッタリは有効
ビットコインの出現でお金の概念が変わった、と言われる。けれど、私は別にそう思わない。ビットコイン中央銀行がなくても自律的に動く、バーチャルなお金のシステム。仕組みそのものは革新的であったかもしれないけれど、ネット社会では遅かれ早かれ出現しただろうし、お金の本質は変わっていないと思う。

お金とは信用のひとつの表現形態に過ぎない。逆に言うと、お金をたくさん扱っている人は、信用とは何であるかを理解している。最たる例は、借金を抱える人だ。

「自分にはビジネスで多額の借金があります」と言われると、世間ではネガティブなイメージにとらえられるが、私は逆に高く評価する。彼自身に、借金の金額分の信用があったから、お金を借りることができたのだ。


反対に、起業志望者のなかで借金を一切せず、せっせと自己資金を貯めている人がいるけれど、何をしてるんだろう? と思う。信用されていないから借金できないだけじゃないのか。あるいはプライドが邪魔して、お金を貸してくださいと頭を下げられないのか。

10の信用があれば100のお金を集めることができるが、100のお金があっても10の信用は得られない。すべてのビジネスの成功者は、このことを理解している。

しかし注意しなければいけないのが、詐欺師だ。詐欺師は、信用を巧みに捏造する。捏造だろうと何だろうと信用が得られれば、お金を動かすことはそれほど難しくない。


何をもって本当の信用か、詐欺なのか、はっきりした境目は存在しない。実は詐欺師なのに信用のプレゼンがうまいから大金持ちになっている人は、ごまんといる。

逆に、きちんと信用に足るビジネスをしているのに、周りが「あいつは詐欺師だ!」と言いだすと、途端に詐欺師としか見られなくなってしまう例もある。私なんかは、そう言われたほうだろう。

詐欺師の信用は所詮ニセモノなので、そのうち見破られるだろう。詐欺師に見られてしまった人は、信用が本物ならば、理解のある人が必ず評価してくれる。

本物の信用は、「お金(+時間) を自分自身の経験のために、どう使うか」「周囲の信用をいかに得ていくか」を真剣に考え、実践していくことで、生みだしていける。

シンプルに言うなら、楽しむことだ。楽しんでいると自然に人は集まってくるし、面白い知識や経験値、人間関係が蓄積されていく。「この人にならお金をかけてもいい」とか「一緒に苦労しよう」と思われる、パーソナルな価値が信用につながっていくのだ。

世の中を見渡すと、「いくら貯めるか?」「どれだけお金を増やすか?」「何をして稼ぐか?」といったことばかり考えて、「どう信用を生みだすか?」とは、考えない人が多すぎる。

お金が欲しいなら、まず信用だ。

大金の動く投資やビジネスで求められるのは、信用、それに尽きる。ビジネスは、信用を得ればOKだ。そこに多少のハッタリを加えると、さらに効果を発揮する。「やった者勝ち」は、信用を得るときにも使える技なのだ。

私が見る限り、世の中は「やらない」やつばかりだ。考えているだけで、何にも行動を起こさない。

頭の中でビジネスプランを思い描くのは、みんな好きだと思う。しかし、そのプランを現実に移そうと実際に動きだす人は少ない。不思議なことだ。頭の中のプランを形にできるのは、本人しかいないはずなのに。

たとえば、よく「起業準備中です」などと言う人がいる。何を準備しているんだよ! と言いたい。資金を調達したり、経営に必要な知識を学んだり、そういうことが準備らしいのだけど、いつ準備は満たされるんだ? そして準備が満たされるラインを決めるのは誰なんだ?


準備中だなんて、起業に尻込みしている不安の言い訳だ。自分で納得のいく準備ができたら走りだす。そんなものは起業ではない。

とにかくまず、走りだして、足りないものは走りながら、集めていったらいい。練習を積み重ねる必要はない。とにかく実践あるのみ。どんなに練習しようと、走りだしたあとの実体験に勝るスキルはないと思う。


私は2015年の夏、コペンハーゲンでアイアンマンレースに出場した。スイム3.8キロ、バイク180キロ、ラン42.195キロ、合計約226キロの過酷なレースだ。

スイムとランは日常的にトレーニングしているが、バイクの練習は一度もしなかった。周りからは「それじゃ絶対に完走できない」と言われまくった。だけど結果は、きっちり完走した。自転車が得意だと、自分で信じきっていたから、「絶対ムリ」と言われても、不安は感じなかった。途中つらいときはあったけど、リタイアしようとは思わなかった。

「絶対ムリ」派は、「レースの前にバイクで1000キロは練習しておかないとダメだ」と言う。どうして? 練習でそんなに長距離を走る意味がわからない。

とにかく本番。何かあったらそのとき対処する。これでアイアンマンレースも乗り切れる。私はそれを実証してみせた。

事前の準備を変に大事にする人は、プライドが高いだけじゃないだろうか。はじめから失敗したときの理由づけをしているというか。

ダメだったら、またチャレンジすればいい。その程度のことだ。

実際に動きだすのは1~2%の人だけ
チャレンジの選択肢は多く持っておこう。何でもやることは、最良の自己投資だ。

学生なら、部活を掛け持ちするのがいい。多くの学校は、生徒が入部する部活はひとつに限っている。悪しき慣習だ。そのひとつが才能を発揮できる部活とは限らない。要領のいいヤツは、部活をうまく掛け持ちしている。それでいいと思う。

サッカーと野球と水泳と簿記とパソコンを同時にやって、一番結果を出せるジャンルに最も多く時間を費やす。自己投資法としてはベストだ。気になったものは、何でもやってみよう!


以前、あるテレビ番組で高校生が「将来、農業をやりたいんです」と言っているのを見かけた。ビジネスとして農業に取り組もうという若者の姿勢は面白いが、将来とは、いつのことなんだろうか。いますぐやればいいのに。学校の名前で農地を借りて、まず野菜の栽培を始める。畑仕事は後輩に手伝わせてもいい。穫れた作物を無人販売所で売って、利益を出していけば、立派な学生ビジネスだ。

どうしてすぐやらないのか。農業は大変な仕事だから、受験勉強していい大学に入り、いったん就職して、充分に社会経験を積んでから手がけるべきという思いこみがある気がする。


そんなことはない。農業なんて、誰だってできる。

少し前の日本人は、農業学校にも行ってないのに、ほとんど農民として暮らしていたのだ。どんな野菜も、種を蒔いて水とか肥料をあげれば、まあまあ育つ。生育が難しい野菜はともかく、ジャガイモなんて切り分けて灰をまぶして、植えておけば勝手に増えていく。もちろん実際の農業にはそれなりの大変さがあるけれど、別に特別な人にしかできないものではない。

繰り返すが、理屈をこねて止まらず、動きだすこと。何でもやること。成功をつかむには、このふたつしかない。私はさまざまなメディアで発信してきたけれど、実際に行動に移したのはせいぜい1~2%ぐらいだろう。

まあ1~2%しかいないから、動きだした人が成功しやすいという面もあるだろう。けれど、逆に行動しない人が、そのぐらい低いパーセンテージになった世の中のほうが断然、面白いと思う。

親の世代の常識も協調性もいらない
具体的に、どう動きだせばいいかわからない、何をやればいいのかわからないという若い人の意見をよく聞く。思うに、みんな体験の絶対量が少なすぎるのではないか。 
たとえば高校の文化祭で、模擬店をみんなでやって、商売の楽しさに気づいたり。部活で部長を任されたら、コーチングに興味を持ったり。普通の学校生活のなかにも、体験のチャンスはいくらでもある。なのに多くの学生は、体験しようとしない。


豊かな体験ができていたら、面白いことに向かって、身体が勝手に動きだすはずだ。

日本は、親が子どもの体験をコントロールしすぎているのかもしれない。子どものために体験を制御するのが、いいことだと決めこんでいる。

自分が高卒だから、子どもには大学に行かせたいとか、塾に行かせるために遊びを禁止したりとか。大学に行けば安泰というワケの分からない信仰が、親世代には根づいている。

親の常識とか、先生の常識は古い。どうしようもなく古い。20~30年前の常識なんて、現代にはまったく通用しない。  子どもの行動をコントロールするのが、正しい大人の役目だと思いこみ、子どもの本来の可能性を摘んでいる。そういうことが教育現場に理解されていないのは、大変な問題だ。

たとえば協調性。義務教育レベルでは、いまも大事にされている能力らしい。管理しやすい兵隊を養成するために導入された、戦前のカリキュラムの名残だ。

当時の学校教育の主な目的は、ジェネラリストの育成だった。個性的にも能力的にも周りから突出しない、組織の政治に波風を立てずに、仕事をやり過ごす方法を教えこんできた。

だが、現在は経済の中心がグローバルなネット社会に移行している。求められるのはジェネラリストではない。個性的で、多様な変化に適応でき、そして競争に勝てるスペシャリストだ。

上司の顔色を窺い、空気をうまく読んで、「出る杭」にならない人が、プラスの評価を受ける分野は消えつつある。「先にやる」「動きの速い」、そんな「競争に勝てる人」が、どの分野でも重用されているし、成果を上げている。

自己実現のためには素早く行動し、実践に臨み、スペシャリストの競争力を伸ばしていかないといけない。

協調性は不必要だとまでは言わないが、役立つ場面は公務員の世界の一部とか倒産寸前の会社とか、ひどく限られるだろう。それに協調性をいくら磨いたって、新しいものを生みだす感性は育たないと思う。

新しいものが次々に現れる現代社会のなかで、たくましく生き抜いていく力を子どもに身につけさせるのが学校のはずなのに。現代には通用しそうもない協調性を、まだ説いているのはおかしい。

協調性なんかいらない。スペシャリストの才能があればいいのだ。

知り合いの人気マンガ家は、周囲との協調性などまったくない。大手版元やテレビ局と真っ向から対立しても、自分のやりたいことをやりきる。義務教育ではだいぶ苦労されたタイプだろう。だけど才能があるから問題ない。才能があるから、敵が多いぶんだけ支持する人も多い。彼の支持者たちは、彼の人格を尊敬しているわけではない。才能を崇めている。協調性なんか、どうでもいいのだ。

才能のあるところで楽しく仕事する。それで充分だろう。

自分には才能がないから無理ですとか、選ばれた人しかできないです、などと言い返されることもあるが、わかっていない。

才能がないのではない。自分が何の才能を持っているのか、知らないだけだ。才能がないから協調性を大事にやっていくなんて、才能の探究をサボっている怠慢にしか聞こえない。

とにかく体験しよう。多くの体験でしか、才能を伸ばせる、ワクワクする楽しい何かは見つからない。言うなれば「ノリの良さ」だ。

プライドにとらわれて動きださず、才能を腐らせてしまうほど、バカバカしいことはない。ノリに任せて、あらゆる体験に臨んでほしい。

 

ノリよく、たくさん経験しよう
第1回で話したノリの良さにつながる話として、漫画『インベスターZ(コミックス第8巻)』のなかに登場した私は、若者にある体験を無茶振りしている。不老不死ビジネスへの投資を申し出た京大生の中川に、東京から札幌まで43時間半以内にヒッチハイクして到着するように命じたのだ。

これは面白い。もし現実に中川のような青年が現れたら、同じことを命じるかもしれない。

ヒッチハイクは、いい体験だ。私も学生時代のお金がない頃、よく国内でヒッチハイクした。車を止めて知らない人に声をかけるのは、すごく怖い。だけど車に乗せてもらえないと移動できないし帰れないのだ。若者が度胸をつけるには最適の方法だ。

ヒッチハイクで日本一周も、10代で投資ビジネスも、豊かな体験。体験の多い人が、面白い人生を歩めるのは間違いない。多くの体験のなかで「これが本当に好きだし、得意だな」と思えるものに出合える確率も、当然上がる。

「どうやったら好きなことが見つかりますか?」の回答は、ノリ良く、たくさん体験をすること、これしかない。


先生・大人はへたに教えるな
大人は子どもの体験を全力でバックアップすること。邪魔しても意味がない。というか、邪魔する根拠がない。子どもが大きくなる10年後、世の中はこうなっていますという明確なビジョンがあれば、好きなことをやらせないほうがリスキーであるとわかるはずだ。

初等教育の先生は、今後はキュレーターに徹するべきだと思う。あまたある情報からノイズを除去して有用な情報だけ抽出して提示する役割だ。子どもたちの興味あること、才能を伸ばせそうなことを、できるだけたくさん提示して、何を取るかは子どもに選択させよう。

いまの初等教育のシステムでは、本当に有用な知識を子どもたちに教えるのは、限界だろう。だいいちスマホも使いこなせない先生ばかりの教育現場で(しかも禁止していたりする)、本当の創造性が育つわけがない。

先生はへたに教えるな! というのが私の一貫する主張だ。

ダメな先生は、「おまえには才能がないから○○は諦めろ」とか「やるだけ時間の無駄だ」などと言って、生徒の選択肢を絞ろうとする。それが大人の役目だと思いこんでいる。大間違いだ。うまくいくかどうかの判断は、本人がすること。

親や大人にできることは、子どもに「これやってみるか?」とたくさん差し出して、「やる!」と言ったものをすべてやらせる。これだけだ。

私は子ども時代、「マンガを読んだらバカになる」と言われ続けた。「テレビばかり観たらいけない」と言われたし、「勉強の邪魔になるから」と親にパソコンを捨てられた。やりたいこと、好きなことをたくさん封じられてきた。

けれど結局、大人になって役に立ったのはパソコンの知識であり、テレビやマンガで培った感性だった。親や教師の言うことを信じてもロクなことはない。

パンドラの箱を開けるのが人間
旧来の発想で10年後の将来を描くのは、不可能だ。タブーとされたものがタブーではなくなり、選択肢はさらに増えていく。

左寄りだろうと右寄りだろうと、旧来型の社会モデルを守ろうとしている人たちは、いまのシステムが永続的に守られていくものと信じている。

私には理解できない。彼らは、人間がどういうものであるのか、本質的な認識が欠け落ちている。人間というのはパンドラの箱を開けたがるものだ。それが人の本質だ。
パンドラの箱を開けようとする人間が一定数いないと、人間は人間たり得ない。誰もパンドラの箱を開けないのは、猿の社会だ。


私たちはなぜ猿から人間に進化できたのか? パンドラの箱を開ける猿が、現れたから。行動し、リスクを取ってチャレンジした猿が続々出現したことによって、私たちは木を降り、火を扱い、文明を築いてきたのだ。 以前の暮らしや価値観にこだわり、チャレンジを否定してしまったら、それは人間ではない。

どんなに「危険だ!」と言おうと、パンドラの箱を開ける誰かは、必ず現れる。開いた箱は、もう二度と閉じられない。私たちはパンドラの箱を開けてきた。これからも、パンドラの箱は開いていく。それが人の社会の本質であることを、忘れてはいけない。


どうせ誰かがチャレンジする、ならば自分で!
原子力発電はパンドラの箱の最たる例だ。弊害や事故のリスクはどうであれ、原子力発電は人間が開けた箱だ。何者かに強制されたものではない。私たちが自らの意志で、原子力をコントロールしていくという文明を選んだのだ。灯してしまった原子力の火は、もう消せない。開いた箱は、閉じられないのだ。

原発を唱える人たちは、その根本がわかっていない。もっともらしいデータや論証で原発廃止を訴えるけれど、結局は人道論、情緒論に終始する。じゃあ開いたパンドラの箱を、人の意志で閉じることができるのか? その問いには誰も答えられない。
開けられそうな箱は、絶対に開ける。それは人の宿命だ。人間が人間たることを否定してもしようがない。

パンドラの箱というのは開けられるという前提で、すべての物事を考えよう。

原子力発電は1950年代前半、当時の科学界や国家間でリスクは論じられたが、結局「平和政策」として開発が進み、旧ソビエト連邦のオブニンスクで最初の発電所が造られた。日本では湯川秀樹ら識者の反対を受けながらも、1966年に日本初となる東海発電所が稼働を始めた。

その結果、どれほど私たちの科学力が進化したか。検証するまでもない。新しい進化の果実を得るために、リスクを取って前に進むのが、人類の美しさだ。 チャレンジは止めても、意味がない。どんなに危険でも、安定性がなくても、どうせ誰かがチャレンジする。ならば自分で、チャレンジしたほうがいい。

素人革命により「遊び」が仕事に変わる
チャレンジのハードルを下げたのは、IoT(Internet of Things:あらゆるモノがインターネットに接続し、相互に通信し制御しあう、という概念)革命だ。

IoT革命の中心であるスマートフォンは全世界で、何億台というロットで出荷されている。大量生産により、1台あたりに搭載されているセンサーの値段は安くなって、高性能化がどんどん進んでいる。それによってロボットや、自動運転、様々なものの自動化の技術が飛躍的に進化してきた。IoT革命はスマートフォンの進化によって起きたといえる。

タクシー運転手、スーパーのレジ打ち、会社の財務部門などはやがて機械化され、職業としては消えていく。物流も自動化される。農業も、食料生産も自動化される。人が汗水流して働く場は、これから年単位で減っていくだろう。

仕事がなくなると、どうなるか。人には余暇が、いっぱいできる。だから遊ぶようになる。遠くない将来、世界の一大産業は「遊び」になると思う。そのたしかな兆しは、「素人革命」だ。


お金や技術や才能がなくても、遊びや趣味の延長で、プロと並ぶ仕事をしている素人が続出している。たとえばカメラマン。プロ用のハイスペックなカメラを、一般人が普通に使っている。手ぶれ補正や、オートフォーカス機能の充実はすごい。フィルム時代にはプロにしか撮れなかった奇跡の一枚が、誰でも撮れるようになった。

私の元秘書の女性も、未経験者だったが、プロのカメラマンとして仕事をしている。技術はそれほどでもないけれど、カメラの性能がいいので、写真のクオリティには遜色がない。彼女はコミュニケーション能力がとても高く、子どもに好かれる。彼女の撮った自然な笑顔の子どもの写真は、なかなかの人気だ。収入は自分の子どもを養うには充分だという。

技術の進歩によってプロと同じレベルの仕事ができる。彼女も、素人革命の恩恵を受けたひとりと言える。


「行動」が「信用」になる
また、こんな例もある。以前、札幌でひとりの主婦に会った。普通のシングルマザーなのだが、「キャラ弁」づくりがめちゃくちゃうまい。オリジナルのキャラ弁をブログにアップしているうち大人気になった。ブログで発表するという、わずかな行動をとっただけで、彼女のもとには仕事のオファーが殺到している。

私はInstagramYouTubeも活用したほうがいいと提案した。英語で発信したら、きっとすぐ100万フォロワーぐらいになる。札幌の主婦が、世界中から引っぱりだこの、キャラ弁クリエイターになる可能性は充分にある。この主婦も、素人革命の実現者だ。

要は、アイディアと行動力だ。

素人革命を遂げたのは、みんな自ら動きだした人たちだ。自分で行動したことが、彼らの「信用」となっている。

時間をかけた勉強や訓練は、どのジャンルでも一定量は必要かもしれない。しかし、蓄積されたスキルではなく、やりたいように動きだし、それまで「遊び」だったものをビジネスに変えていく個人のセンスが、信用ひいてはお金を生みだしていく時代になりつつある。

遊びを起点にした素人革命が、次代の新しい産業革命となるだろう。

情報を掛け合わせて新しいものが生まれる
以前、バンコクのホテル、ウェイクパークに行ったときのことだ。そこで、ワイヤー・ウェイクボードに挑戦した。ワイヤーで吊られたボードに乗り、電動ケーブルで引っぱられて水面を走行する。スリリングで、本当に面白かった。

ウェイクパークの周りは一面田んぼだった。10年後はきっと、GPSセンサーで自動制御されたロボットが、穀物の種蒔きから収穫までせっせと働き、その横で人々がボードに乗って遊んでいる光景が広がっているだろう。


そういう世の中になったとき、誰が一番得しているのか。いま、田んぼの横で日がな一日、ボードに乗って遊びまくっているヤツらだ。10年後には超うまいインストラクターになって、観光客相手に稼ぎまくっているはずだ。

これは先の素人革命に通じる話だ。遊びがビジネスになったとき、誰が儲かるか? 遊びの達人だ。 現代のコンサルティングビジネスと同様に、楽しく遊び倒したヤツだけが持っている体験や知識が、高い値段で売れるようになる。その先陣が人気YouTuberたちと言えるかもしれない。

遊び方を知らないと豊かな人生を送れないというのは、そういうことだ。昔の言い方とは実情が違っている。遊びの体験を仕事に活かすのではなく、遊びそのものがビジネスになる。遊ばないと儲からない、そんな時代になっていく。

海外には面白い遊びがいくらでもある。バックパック旅行でもLCCチケットでも、うまく利用すれば、バイト代程度で海外へ安く行ける。泊まりはAirbnbを使えばいい。広い世界の情報を得るには、少しの工夫とお金で足りる。自分には遊ぶお金も余裕もないなんて、諦めていたらダメだ。

体験は、情報だ。情報そのものは役に立たないかもしれない。けれど情報を掛け合わせることで、新しいものが生まれてくる。掛け算の母数を増やすために、もっと体験を積もう。遊ぶだけでも全然OKだ。

年がら年中、遊んでいるだけなのに億万長者、という若者は、ぽつぽつと現れてきている。これからは遊び倒した者が勝つ世の中になる。

本当の「豊かさ」とは何か?
豊かな人生とは何か? 貯金がたくさんあって、老後が安泰なことが、本当に幸福なのか?

質の良い情報を浴び、思考停止を解いて真剣に考えれば、答えはわかるはずだ。 金に縛られる人生を生きるな! と言いたい。お金儲けや、貯金を守ることなんて、考えないでほしい。

人生を豊かにするのは信用、そして楽しい体験を得られる行動だ。 行動した者には、信用が集まる。信用があれば、お金がなくても生きていける。そういった常識が、もっと浸透するといい。

私はかつて自分の著書で、こう書いた。

「アイディアよりも圧倒的に大事なのは実行力だ。思いつきより、考えたことを努力して、形にした人が本当に評価されるのだ。この国では、最初の一歩を踏みだした人が賞賛される向きがあるけど、本当の未来を切り拓くのは、アイディアを体系化できる能力を持った人だろう」

頭で考えて止まっていたらいけない。どんな楽しいアイディアも、実現することに意味がある。尻込みすることはない。素人革命によって、あらゆるアイディアは誰でも実現可能になりつつある。

どんどん行動して、君自身が封じてしまっている、パンドラの箱を思いきって開けよう。ただの道具であるお金に振り回されない、人生の扉がきっと開くはずだ。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 
 

 

 

 


 
 

ジム・ロジャーズ おすすめ本

ジム・ロジャーズ

(Jim Rogers、1942年10月19日)

 

⭐️まとめ

ロジャーズの考えでは、今後中国一択、中国語を学ぶべき。中国語だけなら、大連、ハルビンの家庭教師から学ぶのもいい。

短期的10-20年は韓国・北朝鮮ものびる。

債務問題と、中国とのエンジニアの数の違いにより日本、アメリカが衰退する。Alibaba、Tencent、Baidu、HUAWEIが成長する。

日本にいるなら農業をするか、インバウンド向けの観光業をするか、どちらか。

⭐️

 

 

少子高齢化と人口減少、社会保障費の増加など日本には問題が山積している。

1歳の娘の将来をこの上なく心配するフォーブス ジャパンの編集者が、大胆にも来日した世界3大投資家 ジム・ロジャーズに「子供の進路相談」を持ちかけた。

ジムは開口一番こう答えた。

「絶対英語よりも中国語を学ばせたほうがいい。なぜなら、アメリカは衰退し、中国が再び世界の頂点に君臨することは明らかだからです」

自信満々に語る真意とは?


──グーグルやアップルやアマゾン、マイクロソフトなどは相変わらず好調ですし、シリコンバレーにおけるスタートアップにも勢いがあります。アメリカは今後も安泰、という見方もできるかと思いますが。

決してそんなことはありません。不思議なことに日本であまり知られていないようですが、今のアメリカは「有史上最大の債務国」なのです。増え続けているその債務は対外純資産が約マイナス900兆円(2017年末地点)と他国に抜きん出ています。

──900兆円とは莫大ですね。株式は好調なようですが。

それが危ないのです。アメリカの株式市場は、2009年3月底を打って以来、10年間上昇を続けています。これはなんと史上2番目の長さです。
歴史を学んだことがある人なら誰でも「現在のアメリカの上昇相場がいつか止まる」「そこから世界的な経済危機が起こるかもしれない」ということを容易に予想できるでしょう。

僕は今、日本の株を全く持っていない

──アメリカが危ない、となると日本はどうですか?

残念ながら目も当てられない状況に陥るでしょう。足し算と引き算ができる人なら明白です。

日本は債務が膨らみ続けています。その額、なんと1100兆円(対外純資産は世界一位のプラス約300兆円ですが)。こうしている今もとてつもない勢いで増加しています。これは単純な足し算。

対して、日本の人口は絶望的なスピードで減っています。この低下するグラフに延長線を引いていきましょう。20年後は凄惨な状況であることが一目瞭然です。これは引き算。

この2つが同時に進行しているのです。

──たしかに。時々議論される問題ですが、多くの人は楽観視、もしくは思考停止に陥っている気がします。

クレイジーな外人が適当なことを言っているのではなく、これは事実なんです。でもだからと言ってこれを正視して行動を起こす人は少ない。私だったら心配して移住するでしょう。
 
債務と人口の変革をしなければ、生活水準が落ちるのは当たり前。だから何も新たな行動をしなければ、それは受け入れたも同然なのです。

──聞くのも怖いですが、ジムさんは、現在日本の株はお持ちですか?

今、僕は全然日本株を持っていません。日本は最も大好きな国の一つですけどね。今日も富士山柄のサスペンダーとネクタイをつけてるくらいですし、富士山にも登頂しました。

──革新的なイノベーションが日本の未来を救う可能性はありますか?

可能性はないわけではありません。でも、よっぽどのイノベーションがないといけませんし、そもそも日本には中国の15分の1しかエンジニアがいない。世界をリードするイノベーションが起こる可能性がそれだけ低い、ということです。

仮に素晴らしいイノベーションが起こったとしても、債務の増加と人口減少という問題は依然としてそこにあるでしょう。

──2020年には東京五輪がありますが、どのようなインパクトを起こすでしょうか? 

残念ながら、経済的な側面で見るとあまり効果がないでしょう。短いスパンで、ごく少数の人に少し影響がある程度です。これまでの歴史でオリンピックが「国に」大きな影響を与えたことなどないのです。

1976年にどこでオリンピックがあったか答えられますか? それでその国が変わりましたか? ……そういうことです。ホテルやレストラン、観光業が短期的に盛り上がるくらいです。
2027年にもなると、2020年のオリンピックがどこであったか、答えられる人は少数でしょう。オリンピックで負債が下がったら奇跡です。

──2025年には大阪万博がありますが。

万博はさらに影響が小さいでしょう。これも見解ではなく歴史から導き出せる事実です。

ちなみに、すごく楽しいイベントですが、ワールドカップも同様です。

足し算と引き算ができるのであれば、あとのご判断はお任せします。ただ僕は心配です。50年後、人々はどこでお寿司を食べたらいいのでしょう?

子供が15歳なら韓国語を学ばせよう

──アメリカも日本も危ないのですね。では、今後の未来が明るい国はどこですか?

意外かもしれませんが、次の10年、投資先として一番盛り上がるは韓国・北朝鮮です。

北と南が統一され、若い労働力とそのポテンシャルが十二分に発揮されるからです。
 
これほどまでに教育レベルが高く、安い人件費を抱えている国はありません。中国と国境で接していることも重要です。この「統一された国」に日本は対抗できません。

私はアメリカ人なので北朝鮮に投資をすることはできませんが、韓国にはすでに投資をしています。

──朝鮮半島に世界のお金が集まるんですね。子供に韓国語を学ばせるのも魅力的に思えてきました。

ただし、この「特需」は10〜20年くらいの限定的なものでしょう。だから子供が今15歳とか大学生なら韓国語を学ばせるのもいいでしょうが、あなたのようにお子さんが1歳となれば答えは一つです。

韓国語を学ばせずに、20歳の時には中国にいるべきです。

子供が1歳なら「中国語一択」

──中国が再び世界のトップに君臨するという根拠はどこにあるのでしょうか?

まず、先ほども触れたように中国は毎年アメリカの10倍、日本の15倍ほどエンジニアを輩出しています。その結果として、世界のユニコーン企業(企業評価額が10億ドルを超える非上場のテクノロジーベンチャー企業)の約3割が中国にある、という傑出した状況を作り上げています。

──それは驚きですね。

さらに、百度、アリババ、テンセント、ファーウェイの4社はアメリカの4大IT企業である「GAFA」を凌ぐ勢いで成長しているのです。ピークを過ぎたアメリカが世界一の座を明け渡すのは時間の問題でしょう。

──とはいえ、中国はリスクを抱える国では?

中国はもちろん問題を抱えています。

しかし忘れてはいけません。20世紀、アメリカは最も成功した国でしたが、問題は山積し、数々の紛争も起こっていました。幾度も経済不況に苦しめられましたし、人権、法律もまるで未整備。アメリカはひどい場所でした。それでも急成長できたのです。
以上から、あなたの1歳の娘さんはマンダリン(中国の公用語)を学ぶべき、と断言できるのです。

──では、別の観点からお聞きします。翻訳機などの進化が目覚ましいですが、ここまで進化すると、言語習得の必要性は薄くなるのではないでしょうか?

いえ、そんなことは起こり得ません。疑いの余地もない。AIに取って変わることはありえないのです。

通訳テクノロジーがどれだけ進化しても、自分自身で理解したうえでの瞬間的な反応が必要なのは変わりませんし、エスカレーターで小耳に挟んだ情報が事業の明暗を分ける、というシチュエーションは容易に想像できます。

つまり「自分自身で言葉を操れる」を超えるものなどないのです。

あなたも、どこかのバーで誰かに英語で話しかけられた時、AIに頼って会話をしたいですか? きっとそれは全く違う体験になってしまうのではないでしょうか?

──では、どのようにしてマンダリンの学習をスタートすればいいでしょうか?

今1歳であるならば、即座にかかってもいいくらいです。本人も意識していない内に。例えば、中国語のアニメのDVDを買い与えるのもいいでしょう。

──留学させるのであれば、ジムさんとその娘さんのように、シンガポールがいいのでしょうか?

じつは、シンガポールで話されているのは決してハイソなマンダリンではありません。英語も同様です。マンダリンを正式に学ぶのであれば、大連ですとかハルビンといった中国の北方出身の家庭教師に学ぶのが一つのオプションになるでしょう。

──宗教理解、異文化理解のためにシンガポールはいい場所ですか?

宗教の多様性という意味では仏教、イスラム教、ヒンズー教キリスト教、言語の多様性という観点でも英語、タミル語、マレー、中国語の4カ国が主要言語であるので、環境としてはいいでしょう。しかし、繰り返しになりますが、きっちりとしたものを学ぶためには中国に留学させるか、きちんとした教師をつけるべき。
 
もちろん、多様性を気にされるのであれば、日本人学校に通わせるべきではありません。

留学や学習によってマンダリンを身につけたあなたのお子さんは、いつの日か心からの感謝を届けてくれるでしょう。

 

今最も楽観している農業分野と低金利時代の投資について語っている。

 

私は落ち込んでいるという理由で農業について楽観している。
ロジャーズ氏が逆張り投資家らしい観点で農業分野への関心を語っている。
現時点で、他の何よりも楽観している投資分野だという。
なぜ楽観するのか。
それはすでに底近くにあるからなのだ。

「悪夢だ!
米国の農民の平均年齢は58歳。
多くのアメリカ人が農業でなく広報の勉強をしている。
日本の農民の平均年齢は66歳だ。
英国で最も自殺率の高い産業は農業だ。
インドでは過去数十年、数百万人の農民が自殺した。」

ロジャーズ氏は、世界の農業が悲惨な状況にあるとし、他も挙げれば枚挙にいとまがないと話す。
そして、この大底だからこそ同氏は農業に強気なのだ。

「禍がある時はしばしばチャンスもある。
農民になる方法、農産品コモディティについて勉強するよう奨めたい。」

ロジャーズ氏が農業分野への関心を話し始めてもうだいぶたつ。
ロシアの農薬会社の役員に就任するほどの入れ込みようだ。
確かに農業は社会にとって最も重要な産業の1つ。
説得力のあるストーリーだが、残念なことに今のところ大きく実を結んだ様子はない。
いつか大きく身を結ぶのか、永遠の出遅れ分野となるのか、興味深いところだ。

ロジャーズ氏は、引退する友人・家族にアドバイスするなら、と尋ねられて、とても慎重な答を返している。
長く超低金利が続く中、落とし穴にはまらないよう注意を促している。

 

よくよく注意しなさい。
多くの人が今、利回りを追い求めている。
高利回りは高リスクを意味しているのに、不幸なことに多くの人がそれを理解していない。
誰かが6%の利子をくれると言ったら、たぶん知らん顔すべきなんだ。
金融緩和はもちろん善意から始まったことだ。
しかし、様々な意図せざる副作用をもたらした。
その1つが詐欺、あるいは詐欺的なセールスだ。

ロジャーズ氏は、自身の投資先もまた厳しい吟味の末にGoを出していると明かしている。

「仮にあなたが自分のやっていることをわかっているのなら(私は自分のやっていることをわかっているかどうかわからない)、例えばロシアの債券を保有していい。
同債券は高利回りだが、私はとても慎重に購入している。
盲目的に利回りを追う過ちを犯してはいけない。
さもないとすべてを失ってしまう。」

ロシアはロジャーズ氏のお気に入りの地域だ。
いつか制裁が解けて大化けするともくろんでいる。
そのロシアでさえもちろん何でもいいというわけではない。

「簡単な答はない。
(投資を)減らして少ないリターンを甘受するというのが解なのだろうが、誰も望まない。」

金利は高齢者の心理を圧迫している。
引退後は年金と金利収入で暮らそうと考えていた人たちから金利収入が奪われた。
もちろん低インフレの時代だから元本を上手に取り崩していけばいいのだが、それは頭の良すぎる人の言い訳だ。
多くの庶民は、元本を崩していくことに恐怖感を覚えている。
そして、残念なことに詐欺やハイ・リスク/ハイ・リターンの罠にはまってしまうのだ。
こうした問題は往々にして景気後退・市場下落とともに表面化する。

問題が起こり、今後数年はすべての人にとってあまり良くない時期になるだろう。
金利は上昇するが、しばらく時間がかかる。
真実ならば良すぎることは真実じゃないから、気をつけろ。

 

ジム・ロジャーズ氏が、大きな金融市場のサイクルについて話している。
現在は困難な時代への入り口であり、投資家は保険としていくらか金をポートフォリオに組み込むよう奨めている。

 

2020年代のテーマは)サバイバル、主にサバイバルだ。
経済と金融市場は極めて深刻な問題を抱えている。
誰もがサバイバルに終始する10年になるのではないか。
2020年代はどんな10年になると予想するか尋ねられ、ロジャーズ氏が答えたとIn Gold We Trust 2019 Reportが伝えている。
答の背景には、シクリカルに変動する金融史観がある。
ロジャーズ氏によれば、良好な金融市場が長く継続する期間とそれほど良くない期間が交互に現れる。
これからは再び厳しい時代に入るのだという。

「2008年、過剰な債務のために問題が起こった。
それ以来、債務は至るところでうなぎのぼりだ。
みんな財政再建を口にするが、誰もそれを実行しない。」

世界金融危機債務危機だった。
その危機を封じ込めるために各国政府は債務を拡大させるやり方を用いた。
債務は少し居場所を変え、少々安全なところに移ったようにも思えるが、一方で債務の総額は大きく拡大した。
レバレッジ拡大のリスクが高まったのかどうかは定かでないが、十分に減ったのかどうかには疑問符が付く。

債務は確かに居所を変えた。
民間から政府・中央銀行へ、あるいは中国へ。
世界金融危機後の経済成長を支えた中国のバランスシートは、危機時には健全そのものだった。
だからこそ危機後の世界経済を牽引できたのだ。
ところが、その中国もこの数年債務危機震源地となるのではないかと心配されている。

ロジャーズ氏は、この変化に1つの解釈を与えている。

「何十年も中国は借金をしていなかったところ、突然信用を得ることができるようになり、物事が簡単になったのだろう。
債務を抱えることの帰結をよく理解していないなら、すばらしいと感じるはずだ。
借金をして返済することをあまり考えないなら簡単だ。」

さらに、中国国民の知見にも一因があるという。

「資本主義システムにいる人なら悪い時代を知っている。
このシステムで育った子供たちは、人々が破産する恐ろしい話を聞いている。
今の中国では、長い間心配すべき債務がなかったため、子供たちがこうした話を聞いて育たなかった。
彼らの偉大な祖父たちはこうした話を知っているが、現在の世代はあまり認識していない。」

 

これは決して中国だけの問題ではない。
ウォール街においても徐々にバブルを知らない世代が増えている。
景気拡大は10年に及び、10年前に就職した投資銀行社員でも職場においてバブルやその崩壊を目の当たりにしていない。
すでに戦力の中心となっているだろう就職後5年の社員なら、住宅バブル崩壊時は高校生、同バブル時は(日本でいう)中学生の頃。
こうした世代は、日本の40代以下と同様に金利が大きく上昇することを身に染みて経験していない。

日本の場合は金利だけでなくインフレについても意識されない時代が続いている。
金利やインフレ昂進を経験した世代がどんどん引退年齢を迎えている。
金利や高インフレをことさら恐れるのは滑稽だが、リスク・シナリオから外してしまうことも同様に滑稽だ。

ロジャーズ氏の信念は、歴史が繰り返すということ。

いつもそうだったんだ。
金融市場が長くすばらしい時代とそうでない時代が繰り返してきたんだ。
金融界は40年間楽な時代を過ごしてきて、それが終わろうとしている。
いつものことなんだ。
では、困難な時代に向けて投資家はどう行動すべきなのか。
ロジャーズ氏は淡々と人々の行動パターンを説明する。

「歴史を通して、政府や通貨が破綻すると、常に金や銀に向かうようになる。
おそらくそうすべきじゃない(多くの学者がそう言っている)のだろうが、みんなお構いなしだ。
それが人々の行動なんだ。」

正しいかどうかではなく、それが人間の行動なのだ。
ただし、ロジャーズ氏はだからといって金を楽観しているわけではない。
金は万能ではないと言い切っている。

保有すれば損をする時期が長く続いている。
私は長らく金を保有しているが、歴史を振り返れば、正しいタイミングで売買しない限り金で儲けることができないのがわかるはずだ。」

利殖を目的とするなら、タイミングよく売買することが重要という。
ロジャーズ氏自身はマーケット・タイミングに興味がないから、利殖のためには金を積極的に奨めていないのだろう。
この日はリップ・サービスも少なめに慎重な言葉遣いをしている。

金は保険として保有すべきなんだ。
医療保険自動車保険、火災保険のようにね。
保険を使わないですむことを願うが、万が一のために買いたがる。
みんないくらか金・銀を保険として持つべきとは言ってよい。

 

今後、日本において投資すべき産業は何だろうか。日本の産業界の活路は、どこに見出せるのだろうか。著書『お金の流れで読む 日本と世界の未来 世界的投資家は予見する』より、世界三大投資家の1人、ジム・ロジャーズ氏が解説する。
インバウンド投資はまだまだ伸びる
私はツーリズム(観光業)を真っ先に挙げたい。個人的には、日本のツーリズム──観光業、ホテルや古民家に投資したいと思っている。

日本はすばらしい国で、名所もおびただしい数がある。さらに、後述するように日本人は何をやっても非常に質が高い。だから多くの人を引きつける。近隣諸国、特に中国人にとっては魅力的な観光地だ。

中国人は何百年もの間、旅行をすることができなかった。最近にかぎっても、共産党は国民を外に出さないよう、パスポートの入手や国外への通貨持ち出しを制限していた。それがいま、パスポート入手も通貨持ち出しも簡単にできるようになり、旅行は身近なものになった。

中国の人口は約14億人。日本の約11倍だ。それだけの人が、国外へ出かけようとしている。中国の旅行業には膨大な可能性が秘められている。日本は中国に近いため、まず旅先の選択肢に挙がるだろう。中国だけではない。ベトナムは約9300万の人口を擁しているが、その多くも日本に行きたがっている。

ツーリズムは2020年の東京オリンピックが終わると落ち込むのではないか、と危惧する方もいるだろう。確かにほとんどの国ではそうだ。オリンピックに向かって伸びていき、終わると落ちる。しかし、日本の場合はそこまで落ちないと私は思っている。日本経済の規模が大きいからだ。

日本はずっと、自ら扉を閉ざしていた。20年前、いや、10年前でさえも、ほとんどの旅行客にとって日本は旅先の候補の中に入っていなかった。物価が高く、外国人に嫌われていたのだ。外国人が来日しても進んで助ける人はいないように見えたし、外国のクレジットカードは使えなかった(いまでも外国のカードは使えないことがある)。

それでも、状況はかなり変わりつつある。私のクレジットカードも使えるところがあるし、日本のツーリズムの将来は明るいと言えそうだ。外国人の安い労働にも依存していない。古民家など、外国人を魅了するものは日本にまだまだたくさん眠っている。
 

もう1つ、投資したい産業がある。農業だ。農業には、地域を問わず世界各地で明るい未来が開けていると私は思っているが、日本は特にそうだと言える。

いま、日本には農業をする人がいない。日本の農業従事者の平均年齢は、約66歳という高齢だ。担い手さえ見つければ、日本の農業には明るい未来が待っている。競争がない業界だからだ。いま、あなたが10歳の日本人の子どもだとしたら、農業をやることも考えたほうがいい。

 
日本人教授のトンデモない冗談
あるいは移民を受け入れるのもいいだろう。日本がひとたび移民受け入れを表明すれば、多くの人が日本に移住し、農地を買ってそこで働くだろう。多くの日本人は教育を受けて甘やかされているので、農業では働こうとしない。移民なら、農業でも働いてくれる。低賃金で働いてくれる外国人を日本に入れない限り、農業は大きな成長産業にはならないだろう。

日本の農業の問題は、政府によって保護されすぎているという点にある。政治家が農民から票を得るために保護しているからにほかならない。日本コメの価格は、かつては世界市場の5~6倍だった。あまりにも高いので、他国に輸出することができない。

私はかつて日本の教授と、ある大学で討論したことがある。その場で、日本のコメ価格は世界の6倍だと指摘した。価格が高すぎて、日本人ですら買いたくても買えないと述べたのだ。すると討論相手の教授は、「われわれ日本人は外国産のコメを食べることはできない」と言い放った。

続けて、「何世紀も国産米を食べているから、われわれの消化器官は外国産のコメを消化することができない。もし食べたら下水道が破壊され、国中の下水パイプを取り換えなければならない」とも言った。最初は冗談かと思ったが、どうも本気だったらしい。

アメリカに住んでいる日系人はカリフォルニア米を食べている。もし教授の言葉が真実だとしたら、アメリカの下水設備は破壊され尽くしているはずだ。しかし、何事もなく残っている。

日本人による「国産米信仰」は、少々度がすぎるというものだ。大学教授でさえ真顔でこんな話をするのだから、多くの国民は「日本米は特別で、高価なのは当然のこと」と思い込んでいるのではないか。

コメであろうとほかの農産物であろうと、低賃金労働をとり入れて価格を下げない限り、ほかの国と競争することはできない。ブラジルやアメリカと戦えるような大きな農産業は、今後も出てこないままだろう。それでも、日本は低賃金労働をとり入れようとしない。このままでは国民みなが貧しくなり、100年もすれば、日本は消えてなくなってしまう。
 

しかし、状況は少しずつ改善されてもいる。2016年、農地法が改正されて、農業への参入の壁がだいぶ低くなった。さらに、こんな例も耳にした。元会社員が始めたある農業法人が、年商12億円もの売り上げをあげる会社に成長し、アジア各国へ進出を果たしているというのだ。日本の農業の可能性の扉は、まさに開き始めていると言える。

教育ビジネスの機会も増えるかもしれない。現在、生徒が足りずに廃校に追い込まれている学校がたくさんある。子どもが減っているので、学校も空になるということだ。日本に来たがる外国人学生はたくさんいる。あるいは、積極的にたくさん受け入れるようにすればいいのだ。すでに、外国人を積極的に受け入れる日本の大学も増えてきている。


40歳以上の日本人は農地を買ったらどうか
韓国や中国の子どもと話すと、彼らは「大学に入学できない」と言う。大学の数が少ないので競争率が非常に高いためだ。

私はそういう彼らに、「日本に行きなさい。日本の大学なら受け入れてくれる」とアドバイスしている。日本では「大学全入時代」と言われるくらい、大学の数が余っている。定員割れで生徒を欲しがっている大学はたくさんあるだろう。そういう大学こそ、留学生を受け入れるのだ。

外国人に来てもらうには、世界の共通語である英語で授業をしなければならないだろうが、いまは東京大学でもどこでも、外国人が英語で講義をしている大学が増えている。


以前、アメリカのラジオ番組で私はこのように述べた。「もし私がいま10歳の日本人ならば、自分自身にAK‐47(自動小銃)を購入するか、もしくは、この国を去ることを選ぶだろう」と。ただ、私が40代の日本人だったらどうだろう。いきなり自分の国から出ていくというのは、いささか難儀なことかもしれない。

そこで考えるのは、農場を買うことだ。いま、日本の農地や農場は安い。誰も買おうとしないからだ。安い農場を見つけ、そこで働いてくれる人材を見つけるべく、最善を尽くすだろう。外国人労働者に来てもらうのが手っ取り早いが、元気な老年期の人たちにやってもらうのも手かもしれない。最近の60代は、定年退職した後でも体力と頭脳があり余っている。そんな人たちに働いてもらいたい。

あるいは、古民家のチェーン事業を始めるのもいい。私だったら、従業員には外国人を雇う。外国人の働き手を確保するべく、教育事業にも着手するだろう。募集・採用にはきっと苦労しない。韓国や中国、インドでは大学が不足しており、逆に人口減少している日本では大学が余っている。人口に対して大学が不足している国から、学生たちを呼び寄せるのは容易だ。そうして学生を採用し、日本の大学で勉強させるべく教育を施す。

そのようなビジネスを手掛ければ、40代でも日本で成功を収めるのは十分可能だろう。

ジェームズ・キャメロン おすすめ本

ジェームズ・フランシス・キャメロン(James Francis Cameron, 1954年8月16日 )

 

 

⭐️まとめ

キャメロンの今後は、ニュージーランドとカナダを起点に、植物関連ビジネスへの投資と映画アバターの続編に凝縮される。

⭐️

 

ジェームズ・キャメロン監督と米20世紀フォックスは、現在準備中の「アバター(2009)」の続編4作品の新たな全米公開日を発表した。

このほど同作の公式Facebbokページに、キャメロン監督とクルーたちの集合写真が「この業界で最高のチームと仕事ができるのは最高だ!」というメッセージとともに投稿され、「アバター2」が2020年12月18日、「アバター3」が翌21年12月17日、「アバター4」が24年12月20日、最終章「アバター5」が25年12月19日に全米公開されることが明らかになった。

キャメロン監督は昨年、「アバター2」を18年のクリスマスに公開すると発表したが、製作開始の遅れから再度公開延期になっていた。

 

 

巨匠ジェームズ・キャメロンが製作・脚本、日本の伝説的SFコミック「銃夢」を映像化。監督は『シン・シティ』のロバート・ロドリゲス

最強のパワーに覚醒めたサイボーグの少女・アリータが世界の運命に立ち向かう。サイボーグ戦士たちとのド迫力のバトル。超高速バトルロイヤルゲーム“モーターボール”で繰り広げられる怒涛のアクション。

ニューヒロインのアリータ役は『メイズ・ランナー』シリーズのローサ・サラザール。オスカー俳優のクリストフ・ヴァルツジェニファー・コネリーマハーシャラ・アリらが豪華共演。

日本語吹替版も豪華声優陣が集結。主人公アリータの声を『君の名は。』の上白石萌音が担当。その他のキャラクターには、実力派声優の森川智之神谷浩史などが務めている。

 

 

1978
Xenogenesis
監督、脚本、製作
自主製作の短編映画


1981
殺人魚フライングキラー
Piranha II: The Spawning
監督
 
1984
ターミネーター
The Terminator
監督、脚本
 
1986
エイリアン2
Aliens
監督、脚本
 
1989
アビス
The Abyss
監督、脚本
 
1991
ターミネーター2
Terminator 2: Judgment Day
監督、脚本、製作
 
1994
トゥルーライズ
True Lies
監督、脚本、製作
 
1996
ターミネーター2:3-D
T2 3-D: Battle Across Time
監督、脚本
ユニバーサルスタジオのアトラクション用として作られた短編
ジョン・ブルーノ、スタン・ウィンストンとの共同監督作品


1997
タイタニック
Titanic
監督、脚本、製作、編集
 
2003
ジェームズ・キャメロンのタイタニックの秘密
Ghosts of the Abyss
監督、製作、出演
ドキュメンタリー映画


2005
エイリアンズ・オブ・ザ・ディープ
Aliens of the Deep
監督、製作、出演
ドキュメンタリー映画


2009
アバター
Avatar
監督、脚本、製作、編集

 

 

 「タイタニック」や「アバター」といった大ヒット映画を監督したジェームズ・キャメロン氏。同氏の映画は世界で約60億ドル(約6500億円)を稼いだ。大惨事やデストピアを描きハリウッドで成功を収めたキャメロン氏だが、夫人とともに投資しているのはもっと明るい未来だ。



 キャメロン夫妻のファミリーオフィスは今、植物関連の投資に力を入れている。投資対象はニュージーランド有機農場や、豆やレンティルからタンパク質濃縮物を製造するカナダの工場などだ。

 

 妻のスージー・エイミス・キャメロン氏はインタビューに応じ、植物を基盤に据えることで世界が反転したと語った。「私たちの投資と私たちのビジネス機会が見え始めた」と述べ、この時から「植物をベースしたレンズ」を持つようになったという。

 若い世代を中心にサステナビリティー(持続可能性)を重視する消費者が増え、植物関連投資への関心が高まっている。代替肉を手掛ける米ビヨンド・ミートは先月の上場後、株価が4倍余りに上昇した。

「ビヨンドの新規株式公開(IPO)で、人類史上でもユニークな時代の正しい場所にあなた方はいる」と話すのはキャメロン夫妻に助言しているバリー・ディダト氏だ。同氏によると、現在の「植物由来の食品は1994年のインターネット」だそうだ。


 環境問題が後押し

 キャメロン夫妻はバーディエント・フーズを設立。同社はカナダのサスカチワン州に置く施設でパスタやソース、バターなどの製品を作るために使用される植物性タンパク質を加工。最近は、米イングレディオンとの合弁事業も手掛ける。ニュージーランドのサウスワイララパにあるキャメロン・ファミリー・ファームズは穀物や野菜、果物を栽培している。夫妻のビジョンは、種をも育てる垂直統合の食品会社だ。

 

 こうした投資は夫妻の気候変動に対する懸念の裏返しだ。温室効果ガスの全排出量のうち農業セクターは約4分の1と、エネルギー生産に次ぐ2番目に大きな排出源となっている。

 今、富裕層の間ではサステナビリティー投資が広がっている。ブラックロックやTロウ・プライス・グループなどの運用会社も関連商品を提供しているほか、ヘッジファンドを運用しているジェフ・タンネンバウム氏の新会社、タイタン・グローブはサステナビリティーを根幹とする事業に資金を提供している。

 世界持続可能投資連合(GSIA)によれば、欧州と日本、カナダ、米国、オーストラリア、ニュージーランドにおける社会的責任投資は2018年初め時点で31兆ドルに達し、2年間で34%増えた。ファミリーオフィスの約45%が、今後1年で持続可能な投資を増やす計画だと答えている。

孫正義 おすすめ本

孫 正義(1957年8月11日)

 

 

⭐️まとめ

孫正義の考えでは、アートとテクノロジーを融合させた偉人として、ダヴィンチの次にジョブズを挙げた。

習慣として、1日1アイデアを出す、しかも5分以内に思いついたものだけ。

⭐️

 

 

 

 「日本の労働生産性はRPA(ロボットによるプロセス自動化)とAI(人工知能)で上がる。人間は(生まれた余剰時間で)創造性を発揮できるだろう。これが日本復活のシナリオだ」

 

君は人生でなにをなしたいのか
みなさん、こんにちわ、孫です。今日は、人生の限られた日数のなかで、同じ部屋で同じ空気を吸って、約2時間の時を共有します。せっかく来ていただいたわけですから、私も精一杯、私が何を考えてきたのか、ソフトバンクが何を考えているのか、情報革命とは何なのか、伝えたいと思います。

まず、集まっていただいたみなさんは、新卒として自分の将来を決める社会の第一歩を踏み出そうとしています。今日は初めて中途採用の皆さんにも集まっていただいております。その皆さんにとって、人生の転機、岐路に立っているということになるのかもしれません。

私も学生の時、卒業をしたら自分がどういう人生を過ごすのか、ずいぶん悩みました。悩んで悩んで悩み抜いた挙げ句に決めました。それがいまのソフトバンクであります。

その人の人生で一体何をなすのか。このことを考えることは、おそらく人生でいろんな質問があるなかで、自分自身にとって一番大切な質問ではないかと思います。ピアノを買いたい、家を建てたい、かっこいい車がほしい。いろいろな夢があると思います。

夢と志は違う
みなさん、夢という言葉と志という言葉、この似ている2つの言葉の定義の違いがわかる人は手を挙げて下さい。

5%ぐらいの人が手を挙げていますね。95%の人はなんとなくおぼろげながらに夢という言葉を聞き、志という言葉を聞いています。ピアノを買いたい、家を買いたい、車を買いたい、これらは夢の1つとして言えます。

しかし、それらのことが「私の志だ」と表現をする人はあまりいないですよね? 

つまり、個人の欲望、個人の願望を満たすのが夢です。多くの人々の夢、多くの人々の願望、多くの人々が困っていることを助けてあげたい、こういったことを指すときは志と呼ぶんです。少なくとも、侍の心、武士の心と書いて、志という風に書きます。

私は自分の人生で何をなしたいかという場合、「志高く生きていきたい」と思うわけです。

つまり、自分の、個人の、1人のエゴを満たすような、そういう願望を満たすようなことではない。100万、1000万、億万の人々に、喜んでもらいたい。そういう風な人生を過ごすことができたらいいなと思います。座右の銘を時々聞かれます。1つだけ挙げるとすれば「志高く」と答えます。

涙があふれて止まらない
そんな孫氏の志は、「情報革命で人々を幸せにすること」。そう思うようになったきっかけは、アメリカでの大学生時代にあったと言う。

そもそも私は、どういうきっかけで人生の岐路に、思い至るようになったのか。まだ私がカリフォルニア大学バークレーの学生の頃です。当時のことはすごく良く覚えています。

道を歩いていて、そこには落ち葉がたくさんありました。そこで、車を降りて、『ポピュラーエレクトロニクス』という電子機器関連の雑誌をパラパラとめくっていたんです。そうしたら摩訶不思議な幾何学模様のような写真が1ページ紹介されていました。

「何だろう?」と、とっても不思議に思ったんです。そして、それを1ページめくってみると、指先の上にのったマイクロチップの写真が現れた。なんと、この小さなチップがコンピュータだというんです。


マイクロコンピュータが生まれたばかりの時だった。当時の私は、IBMなどの大型コンピュータのプログラミングを授業の一環として勉強していました。しかし、まさかどでかいコンピュータがこんな小さなワンチップに化けるなんて、当時はまったく思いもよりませんでした。

このことを知った瞬間、私は雑誌を握っていたんですけど、両手の指がジーンと痺れたんです。手足の指が全部痺れてジーンときた。

みなさんも映画、音楽、本に出会ったとき、感動のあまりにジーンと痺れることがありますよね。あの痺れる現象は、一瞬で血液が脳に集中するからだと思います。手足の毛細血管の血流が乏しくなった結果だと僕は勝手に思っています。

まさに、そのような状態で、涙があふれて止まらなくなったんですね。立ちすくんでしまった。

ついに、マイクロコンピュータが人間の脳を超える。しかも、それがあらゆる人々の手に入る。大学や政府の大型コンピュータではなくて、一般の人々が扱えるほど安くなり、あらゆるところにあふれるようになる。それが人間の脳細胞の働きをいつか超えると予感したんです。

その人生を変えた写真はハサミで切り取って透明な下敷きに入れていた。

毎日持ち歩き、寝るときは枕の下に敷いてほうずりしながら寝ていた。リュックサックの中にも入れて、勉強するときもノートの下に敷いていた。もう毎日ことあるごとに見つめて、にこっとしていた。おそらくその姿を見ていた隣の人は気持ち悪いと思ってたんじゃないかな。それくらい感動して、半年間毎日抱いて寝ました。あんまり大事にしすぎてどこかになくなっちゃったんですけどね。

感動したら即行動
マイクロコンピュータとの出会いの衝撃から、孫氏はさっそく行動に移す。ある画期的な製品を開発することになるのだが、それがソフトバンクの創業へとつながっていく。

ソフトバンクは福岡の小さな街のなかで生まれました。

そしてすぐに東京に本社を移しました。初年度で36億円くらい売り上げたんですよ。40年近く前、私が22~23歳ぐらいの時にソフトバンクを創業しました。初年度の売り上げで36~37億円、2年目で約100億円ぐらいの会社はいまでもあんまりないと思いますね。もっとも、初年度は日本に帰国してからソフトバンクを始めたわけですけど、創業する資金はどうしたのかと問われるならば、私が19歳の時まで遡ります。


みなさん、このなかで、電子辞書を使ったことのある人は手を挙げてください。ほぼ全員ですね。その1台目のマシーンを最初に発明したのは誰だか知っていますか? 私なんですね。

それまで世の中に電子辞書というものは存在していなかった。さきほどのマイクロチチップの写真に感動して、即行動をおこして、このマイクロコンピュータを使ったら何ができるかということを考えた。

マイクロコンピュータを使って、LEDのディスプレイをつけて、フルキーボードをつけて、アプリケーションとしては辞書の翻訳をつけた。19歳のときに、最初の電子辞書を発明し、特許も出願しました。

「僕のもとで働いてみませんか?」
試作機も作って、通っていた大学の教授と助教授を6人くらい雇いました。学生の僕が、自分の大学の教授に対して「僕のもとで働いてみませんか?」と誘って、プロジェクトチームを起こした。そして試作機を作ってその特許を取りました。教授たちには時給でお金を払いました。

最終的に余ったお金が1億7000万円。もうひとつ、コンピューターゲームのプロジェクトもやって、そちらも1億5000万円くらいでした。1年半で3億2000万円ほど稼いだ。それが、ソフトバンクの創業の資本金になったわけですね。

40年前の3億円っていうのは当時のお金ではなかなかのものですよ。ですから、僕は本当は、自分でモノを発明し、開発し、生産し、世に売っていくような人生を歩むこともできたんです。

当時思ったのは、自分の脳細胞の価値や範囲には限界があるんだと。

自分よりももっと賢い、自分よりも素晴らしいアイデアを持った人はたくさんいるはず。だから、自分のアイデアや作品1つに頼るよりも、世の中の多くの知恵のある人々、開発できる人々、彼らの力を全部集めて、その開発したプログラミングやデータなりを何千万人の人々に共有してもらう。

そういったプラットフォームを作ったほうが、自分の知恵がボトルネックになるよりは良いじゃないかと思った。そういうプラットフォームを作ろうということで、「ソフトのバンク」、ソフトバンクを起こしたわけなんです。まぁ、そういう自慢話はどうでも良いんですけど。でもちょっとだけ自慢したかった。せっかくたまにしか喋らないので、みなさんに自慢してみましたけども。

絶望にどう対処するか
創業して間もないソフトバンクの経営は絶好調。しかし、孫氏はその最中に大きな挫折に直面し、絶望するハメになる。

娘も2人生まれて幸せな生活がスタートし、意気揚々とした創業でした。

創業して2年目の時に、会社の健康診断をやったんですね。そしたら、引っかかったんです。即入院することになり、余命5年だと言われました。肝硬変の直前の慢性肝炎でした。


まあ、泣きましたね。本当に心の底から泣きました。病院のベッドで、一人でいると、やっぱりいろんなことを思うんですよね。

なんで俺なんだ、と。なんで俺がこの若さで肝臓を患うんだ、と。3年半は入退院を繰り返しました。怖くて悲しかった。絶望しました。

それなのに、病院を抜け出して毎週会社に行きました。会社の経営会議、役員会議ではどうしても決断しなければいけないテーマがいくつもあるわけです。創業して2年ですよ。

ですから、いろんな難題があり、意思決定しなければいけないことがいっぱいあった。病室を抜け出して会社に行くわけですけど、主治医の先生からこっぴどく叱られました。「孫くん、何をしているんだ? 自分で自分の命を縮めてどうするんだ? なんのために自分の命を縮めるような行為をしてでも会社にいくのか?」と聞かれました。


確かにそうですよね。自分で自分に問いまいした。お金のためか? 名誉のためか? なんのために病院を抜け出して、命を縮めてまで会社に行くんだろうと問いました。

何のための会社か
そうなると、欲しいものなんてなくなるんですよね。

毎日パジャマで過ごしているのでかっこいい服を着ようなんていう欲望は消え失せます。かっこいい車が欲しいなんてサラサラ思わない。家なんて、どうせ5年で死ぬんだからいらない。お金を稼いだって5年で死んじゃうんですよ。突然死ぬよりある意味つらいです。だって限られた人生で余命を宣告されるわけですからね。

そういう中でつくづく考えました。何のための人生か、何のための会社か。

その時に、私が心の底から思ったのは、見栄とか、格好とか、大義名分とか、社会的に形式張ったこと、そんなものはどうでもいいと。本音でいらないと思いましたね。では、自分は何があったら幸せかというと、生まれたばかりの娘や家族の笑顔をみること。もうそれだけで幸せだと思いました。そのためなら残りの人生を捧げたいと思いました。

ふと思ったのは、家族の笑顔だけでいいのかということ。一緒に創業した社員は家族同様なんです。彼らは自分の家族の延長線で、彼らの笑顔も見たい。じゃあ、彼らの笑顔だけで良いのか。

地位も金も名誉もいらない
初めて僕の言葉を信じてお客さんになってくれた大切な恩人がいるわけです。彼らはある意味、家族以上に大事な人かもしれない。あの人たちの笑顔もやっぱり見たい。

それだけで良いのかというと、あの人たちは会社を代表して付き合ってくれたわけで、その後ろには50人、100人、1000人の社員がいる。本当はその人たちの笑顔も見たいな。


けっこう僕は欲張りなんですね。

そう思ってみると、本当はそのお客さんだけではなくて、地球の裏側にいて一度も会ったことがないような、リンゴをかじりながら泥だらけになって遊んでいるニコッと笑う女の子のイメージも湧きました。

誰に感謝したら良いかわからない、ソフトバンクの名前すら知らない、でもニコッと笑って感謝してくれる女の子。そんなイメージを描くと、もう地位も、金も、名誉も何もいらないと思えた。

その女の子の笑顔を想像すると鳥肌が立ちましたね。それなら俺は生きてみたいと思ったわけですね。つまり、建前を抜いて、本音で最終的に思ったのは笑顔だった。人々の笑顔のために人生を捧げたい。

病室のベッドの上で真剣にそう思ったんです。生きる希望が、生きる欲望が湧いてきた。

そしたら、不思議なことに生き返っちゃったんですね。生き返ったら俺はとことん仕事をするぞと言っていました。もし幸運にも5年じゃなくて、もっと長く生きられたなら、俺はとことん仕事をして、人々の笑顔のため、そのためにやるぞと思いました。

情報革命はお金のためではないです。地位や名誉のためでもないです。人々の笑顔のために人生を捧げたいと、心の底から思うようになったんです。

この日、孫氏は予定時間の2時間を超えてなお、「ごめんなさい。もう少しいいですか?」と語り続けた。その言葉は「未来の日本を背負う人材」に、どう響いただろうか。

資産1兆円を手にするとどうなるか
病気から復活した孫氏を待ち受けていたのがインターネットの夜明け。

2000年直前、ドットコムバブルが到来し、ソフトバンクの株価は絶頂に達するのだが……。

ちょうどアメリカではヤフーが生まれたばかりでした。

まだ社員が6〜7名の頃に、我々が資本を100億円投入し、アメリカのヤフーの筆頭株主になりました。そしてYahoo! JAPANをジョイントベンチャーで作りました。

さらにこのとき、日本のインターネットのインフラは先進国のなかでも、高くて遅い状況だった。そして社会正義にかられて我々はNTTに挑戦しました。これがブロードバンド革命です。

実はこの時ですね、ソフトバンクはその直前の2000年の頃、株価が絶頂期でした。

僕の個人資産が、ビル・ゲイツを超えたこともあります。世界一の大金持ちはビル・ゲイツでしたが、3日間だけ僕が彼を抜いたことがあります。あまりにも短すぎて記録にもならなかったけど。その時、僕の個人資産は1週間に1兆円ずつ増えていってたんです。


みなさん、1兆円を手にしたことのある人、手を上げてください?

ないでしょ〜。言っとくけど、そんなに簡単に手に入らないからね。それが、1週間に1兆円ずつ増えていくわけですよ。

そうするとね、なんかおかしくなりますよ。もはやお金が記号になるんです。毎週1兆円ずつ増えていくといろんな人が寄ってきます。それこそ満面の笑みで寄ってきます。さっき僕が言っていた人々の笑顔とは違う笑顔でやってくる。ニタ〜って笑って寄ってくる。

ちょっと人間不信にもなったりして、お金が嫌いにもなりました。そういう贅沢な気持ちもあまり味わったことないでしょ? 

だから、お金はいろんなところに寄付したいと思っていた。でもどこに寄付するんだろうって考えてたら、神様が答えを出してくれました。

ネットバブル崩壊です。

どん底を楽しめ
数ヵ月で株価が真っ逆さまに落ちていった。

99%下がったんですよ。ソフトバンクの全体の時価総額が20兆円だったのが、2000億円まで下がりました。100分の1にまで下がったどん底のところで、僕は「よし!」と思った。

神様がワシに試練を与えてくれたと思って、これはこれでおもしろい人生じゃないかと。


ついこの間まで、人生が記号のような、銭金が勝手に押し寄せてくるような、そんな状況になっていたのが、どん底に陥ったわけです。逆に闘争心が掻き立てられ、ガァーっとアドレナリンが湧いてきたんです。

俺はネットバブルで実力以上に評価されたりしたけど、本当の俺の底力を見せてやるぞと思いました。「いよいよ戦うぞ!」というような強烈なやる気が沸き起こってきた。死にかけた男が生き返ったわけですから。なんぼのもんじゃい、会社が潰れてでも戦うぞと。

どうせ戦うなら日本で1番大きい会社と戦おうと思ったんです。

普通の会社と戦ったら弱者いじめをしているみたいで、なんとなく気がひける。一切の手加減をせずに、全力をあげてぶち当たってやるぞと。

相手は日本一大きな会社。NTTですね。


大きい相手に挑め
日本国政府筆頭株主の会社で、100年間独占していた会社です。法律で独占のポジションを守られた会社。よし、あいつらのせいで日本のインターネットが遅くて高いなら、これを変えてやると挑戦を決めたわけです。やつらの料金の3分の1……実は4分の1の価格で、通信速度は100倍のサービスに挑戦しました。

3日間で100万件の申し込みがきました。

徹底的にやる
今でこそCMをたくさんやっていますが、当時は宣伝も一切なし。ニュース報道だけで100万件の申し込みが3日間できたんです。革命的な価格と性能だったからきたわけです。

ただ、これをつなぐためにはNTTの局舎に入って、その中で我々の通信機器とNTTの接続ポイントとを繋がなければいけません。こいつらがですね、繋がせないわけですよ。

技術的にはできるんだけど、先に書類で手続きをしないと繋いでくれない。この書類がまた役所仕事のように遅いわけです。書き間違いがあると全部がやり直し。まあひどいということでブチ切れました。


それで総務省に行って、総務省の課長に何とかしてくれと頼んだんです。あいつらはひどいと。何とかしてくれないなら記者会見をしてやる。

いかにNTTがひどいか、それを管理監督している総務省もいかに無能かということを、全部ぶちまける。そして、記者会見した直後に、俺はここで灯油をかぶって逝きます、と言ったわけです。

そしたらその課長が「え、ここでですか?」と言うんです。貴様、ここじゃないならいいのか、って腹が立ちましたね。私が机をバンバン叩くので、しまいには課長が泣きだしてしまったんです。冗談抜きで、100万人の人々を待たせていることに責任感と罪悪感を感じていたわけです。

挑戦を繰り返せ
当時は4年間で1000億円の赤字を出しました。しかも、このときは株価が暴落して時価総額が2000億円まで下がっていた。

2000億円しかないのに4年連続で1000億円ずつ赤字を出したら足りないじゃないですか。算数が合わないわけです。なのに、なぜか生き残った。しぶといよね。

生き残る術は色々と身についているんですけど、とにかくラッキーも含めて生き残りました。どうせ病院で死ぬはずだった俺だから、死ぬ気になって戦って、結果として日本のインターネットはどうなったか。日本は先進国のなかで、世界一安くて、世界一速いブロードバンド大国に生まれかわった。

みなさんね、日本に住んでいて、インターネットが速いのが当たり前のように思ってるでしょう。当たり前のように、ヤフー、グーグル、楽天が速いと言って使ってるでしょう。誰のおかげだと思います? ちっとは感謝せなあかんよ! ワシが命がけで病院から出てきて戦わなかったら日本は世界一高いままだったかもしれない。

ブロードバンドへの挑戦に勝った孫氏は、勢いそのままに「次の勝負」に打って出た。あまりに無謀な挑戦に周囲は反対の嵐だったが、じつは孫氏には「秘策」があった。

ソフトバンクも生き残って、4年経った後にやっと黒字になった。黒字になったと思った瞬間に次の戦いがあった。インターネットはパソコン中心の時代からモバイル中心の時代に変わるぞ、と私が言い出した。

社員や幹部は大慌てですよね。銀行も大慌てでした。やっと4年の赤字から脱したのに、もう1度挑戦すると。病院から復活してね、もう挑戦したくてしょうがなかった。

借金は怖くない
どうせ取り戻した命なんだから、生きているという証が欲しい。生きているという快感を得たい。

だったらもういっちょ勝負するぞということで、ボーダフォンジャパンの買収を行いました。1兆8000億円。当時、うちの会社の時価総額が6000億ぐらいでした。それなのに1兆8000億円の会社を買うわけです。みなさん、この算数できますか? 普通だったら買えないよ。


ソフトバンクは借金だらけで大丈夫か、と言われてました。みなさん、うちの会社に来るとなると、「ご両親はソフトバンクは大丈夫か? ソフトパンクじゃないのか?」とか言うかもしれません。あそこは借金だらけだと聞いているぞと。

大丈夫です、借金、慣れてるんです!

もうね、借金が多いなんていまに始まったことじゃないから。もうずーっとなんです。しかもはるかに小さい時に、はるかに身の丈を超えた借金を経験している。それでも生き残っているんだから、それなりのノウハウが身についているわけです。買収時にお金は2000億円しかありませんでしたが、1兆8000億円の買い物をしました。どうやって残りの1兆6000億円を手にしたのかというのは、まあいろんな工夫の結果です。

とにかくやっちまったということです。


そしたら、すぐに週刊誌で「孫正義は1兆円をドブに捨てた」と大々的に書かれて、さらに株価が下がった。1週間で6割株価が下がった。やっと赤字から黒字に戻って、1週間でまた6割株価が下がってしまった。もうめちゃくちゃなジェットコースターですね。株主は怒るは、銀行は怒るわ、幹部も怒るわという状態でした。

ただ、私には秘策があったんです。当時は誰にも言っていませんでした。ソフトバンクの中でも知っていたのは2〜3人。私には1.8兆円の勝負をする自信があった。

その秘策が、この男であります。

スティーブ・ジョブズ。彼がまだiPhoneを発表する前です。彼に会いに行きました。

「男の約束を守れるかい?」
「スティーブ、これを見てくれ!」と言って、私は手書きの図面を見せたんです。「これを作ってくれ、あんたにしかできないだ。なぜなら、あんたはアイポッドを持っていて、MacのOSを持っているだろ? このアイポッドMacのOSをくっつけて、アイポッドのディスプレイをもう少し大きくする。それに通信機能を入れたら、これはモバイルインターネットマシーンになる。インターネットがPCからモバイルに切り替わるタイミングであんたがこれを作るんだ」と言いました。

図面を見てくれと渡そうとしたら、「マサ、そんな汚らしいものは引っこめろ」と見てくれないわけです。


俺の書いた図面が気にくわないのはわかった。でも、お前のニタっとしたその笑顔の裏にはきっとこれに相当するものを作っているに違いない。「そうだろ?」と言ったら、「俺は喋らない」と答えたわけです。超秘密主義の男ですからね。

喋らなくていいから、お前さんが作っているそれが完成したら、日本での独占権は俺にくれ。俺をパートナーとして選んでくれと言ったら「マサ、それじゃあ俺の家に来い」となった。

彼の家の行って続きの話をしました。「わかった。お前に独占権をやる」と言ってくれた。それじゃあスティーブ、ちょっと一筆書いてくれと頼みました。

ティーブは笑いだして「そんなものは書けない。だいたいお前は携帯会社として日本のライセンスすら持っていないじゃないか。携帯会社にもなっていないのに、独占的によこせ、一筆書けなんて要求しすぎだよ。まず出直して、携帯の電波の許認可をとって、それから戻ってこい。そしたら続きの話をしよう」と言われた。

よし分かった、あんたの言うことは理にかなっている。だけど、忘れないでくれよ。俺が電波の許認可をもらい、その会社を始めて戻ってきた時には、あんたが俺に独占権をくれると言った約束を果たしてくれよ、と言ったわけです。それから2週間後に1.8兆円でボーダフォンジャパンを買うという契約に調印をして、スティーブのところへ戻っていったわけです。

「スティーブ覚えているかい? 男の約束を守れるかい?」と言ったら、彼はまたニタっと笑った。「覚えている。俺は約束を守る」と言った。


彼との口約束一つで1.8兆円の賭けにでたわけです。巡り合いというのは面白いですね。彼との巡り会いがなければ1.8兆円の勝負にも出なかったし、今のソフトバンクもないということになります。

彼がすごいのは、単にアイポッドを電話にしたわけではなくて、ありとあらゆる機能を一つの製品に入れてしまったことです。それがiPhoneだった。おそらく300年後の世界で、名前が残っているとしたらスティーブだと思います。

レオナルド・ダヴィンチはテクノロジーとアートをクロスオーバーさせた。当時最強のテクノロジーだった医学、物理、化学を操る頭脳をもち、モナリザのようなアートまで書いた。アートとテクノロジーをクロスオーバーさせた最強の1人目がダヴィンチだとすると、2人目はスティーブ・ジョブズだと思います。

単なる電化製品は世の中にたくさんありますが、アートと呼んでいい初めての製品がiPhoneだったと、私は思いますね。まさに人々のライフスタイルを変えた、尊敬に値する男だと思います。

 

毎日5分、1つアイデアを考える
ソフトバンクグループ創業者・孫正義は「フォーブス」誌の日本長者番付の常連だ。


2017年からは連続で第1位につけている。グループの時価総額によって順位が変動することもあるだろうが、息の長いIT長者が少ない日本にあって異色の存在である。

彼は19歳のとき、カリフォルニア大学バークレー校に留学し、経済学を専攻した。

食事と睡眠以外のすべての時間を勉強に使っていたが、時期が悪かった。日本の父が病気で倒れてしまい、家族から送金してもらっていた毎月20万円の留学資金が途絶える恐れが出てきたのだ。

最初から留学には無理があったのだが、いよいよ自分でお金を稼がなければ家族に迷惑をかけてしまう。だが、勉強漬けの孫にはアルバイトに使う時間はなかった。

普通の人なら、勉強時間を削ってアルバイトをしたはずだ。

だが彼は、「1日に5分だけ働いて、ひと月に100万円以上稼ぐ方法はないものか?」と本気で考えた。友人は驚いて「バカな考えは捨てて、カフェでアルバイトしたほうが良い」とアドバイスしたが、孫は折れず、実用化を視野に入れた発明をすれば、それを企業に買ってもらえると思いついた。

そして毎日5分だけ使って、1日にひとつ発明をする習慣を自らに課した。


この習慣には、考える時間は毎日5分に限ること、5分考えてもアイデアが無ければ、その日は諦めることという2つの原則があった。毎日5分の発明を続けるうちに、発明方法にも法則が見えてきた。孫はそれを3つに分類した。

第一に「問題解決法」。その名のとおり、すでにある問題を見つけて、その解決法を考える方法だった。

第二に、「水平的思考法」。たとえるならば、大きなものを小さなものに、小さなものを大きなものに、四角いものを丸いものに変える方法だ。

第三は、「強制結合法」。ラジオとカセットを組み合わせると、ラジカセになるように、既存のものを組み合わせる方法だった。「強制結合法」はもっとも多く活用され、孫はこのために300枚ものカードを作って、そこからランダムに2枚選び、結合させてみたりしたという。

この習慣を続けて多くのアイデアが集まると、その発明の中でもっとも成功の可能性が高いものを選択した。それは「音声つき自動翻訳機」だった。彼が大学の教授を説得してこれを開発し、シャープに売ったのは有名な逸話である。

彼の習慣で面白いのは、発明という創造的な行為に、「毎日ひとつ」というノルマを設定した点だ。「毎日5分」という時間の制限も、集中力を高める効果がある。

一生続けることもできるし、必要な時期に良いものが生まれるまで続ける、といった使い方も可能だ。誰でもマネできる、汎用性が高い習慣だといえるだろう。

スティーブ・ジョブズ おすすめ本

ティーブン・ポール・“スティーブ”・ジョブズ(Steven Paul "Steve" Jobs、1955年2月24日 - 2011年10月5日)

 

 

⭐️まとめ

ジョブズからは組み合わせる事を学んだ。

ジョブズの習慣は、感情的になって泣く事。

⭐️

 

 

スティーブ・ジョブズにインスピレーションを与え続けた14冊の本

 

Linda A. Cicero / Stanford News Service
アップルはなぜ「Think different」できたのだろうか?

スティーブ・ジョブズiPadを紹介しながら言ったように、"Mac"のメーカーがただのテクノロジー会社だったことは一度もない。

「アップルがiPadのようなプロダクトを生み出すことができるのは、我々が常にテクノロジーリベラルアーツの交点であろうとしてきたからだ」とジョブズは言った。

彼の生涯にわたる人文学への関心が、アップルに人間味を与えた。


テクノロジーリベラルアーツを組み合わせることで、ジョブズはアップルが「技術的な観点から非常に高度なプロダクトを作るだけでなく、それを直感的で使いやすく、使って楽しいものにしたからこそ、ユーザーに真にフィットする」ことができたと語っている。

ジョブズは読書を通じて、こうした考えに至った。Business Insiderは、その中でも彼に最もインスピレーションを与えた14冊の本をまとめた。


スティーブ・ジョブズは高校時代、ウィリアム・シェイクスピアの『リア王』に心を奪われた。


青春時代、彼はハーマン・メルヴィルの『白鯨』も楽しんだ。


ディラン・トマスの詩集は、その人気と創造性でジョブズを引き込んだ。


ラム・ダスの『ビー・ヒア・ナウ ― 心の扉をひらく本』は、大学生だったジョブズを変えたと言われている。


フランシス・ムア・ラッペの『小さな惑星の緑の食卓:現代人のライフ・スタイルをかえる新食物読本』を読んだあと、ジョブズは肉を断つと誓った。


ジュース断食を始めたのは、アーノルド・エーレットの『Mucusless Diet Healing System(無粘液食による療法)』を読んだあとのことだ。


ジョブズはヒマラヤでパラマハンサ・ヨガナンダの『あるヨギの自叙伝』を読んだ。


鈴木俊隆の『禅マインド ビギナーズ・マインド』を読んだジョブズは、著者から直接、教えを受けていた。


クレイトン・クリステンセンの『イノベーションのジレンマ』は、ジョブズにどうすればテクノロジーに取り残されないかを教えた。


リチャード・モーリス・バックの『宇宙意識』は、世界中を旅しようという気持ちにジョブズをさせた。


仏教について学び始めたジョブズは、ラマ・アナガリカ・ゴヴィンダの『The Way of the White Clouds(白い雲の道)』を読んだ。


クリストファー・イシャーウッドの『Ramakrishna and his Disciples(ラーマクリシュナとその弟子)』は、自身の文学的な冒険の一部として読んだ。


チョギャム・トゥルンパの『タントラへの道:精神の物質主義を断ち切って』は、ジョブズに自己意識は錯覚だと教えた。


ジョブズが読んだ、ゲオルギイ・グルジェフの『注目すべき人々との出会い』も、スピリチュアルな旅について書かれている。

 

 

「感動」は隠さず表に出す
Appleの創業者、スティーブ・ジョブズはおかしな習慣を持っていたことで有名だ。


会社のトイレの便器に足を突っ込んで水を流し、気分転換としていたし、若い時分には「りんごを食べていればシャワーを浴びる必要はない」という妙な信念を持って体臭で同僚を苦しめたこともある。

最も有名な習慣といえば、毎朝、鏡を眺めながら、「もし、今日が人生最後の日なら、私はこれからしようとしている仕事をするだろうか」と自問自答する日課だろう。

確かにこの習慣は生産的であるものの、筆者が思うにジョブズの本質を表していない。

彼が手がけてきた数々の製品から感じられる、人を感動させるほど純粋で、ミニマリスティックなデザインは、ただ生産性を追い求めるだけでは作ることはできないからだ。

筆者が考えるジョブズの本質を見せてくれる奇妙な習慣は「常に泣いていた」ことだ。

あまり知られていないが、彼は感情的になるとすぐ泣いていた。

若いころ、Appleを創業しようとしていたとき、パートナーのスティーブ・ウォズニアックが起業に消極的になると、ジョブズは激しく泣いた。Appleが大きくなったあとも、社員が自分の意図とは違った製品を提案してくると、社員たちの前でも泣いた。


だが、もっとも感情を露にしたのは、感動的な想像をしたときである。

彼はこう言っている。

「私はたびたび、完璧な純粋さ――純粋な霊魂と愛――の中に私がいることを感じる。そのとき、私はいつも泣く」

このジョブズの一側面は、彼が並外れて豊かな感受性を持っていたことを示している。

この感受性に着目すれば、ジョブズが関わった製品群が、なぜ、初めて手にとったときの感触や、直感的な操作を重視していたのかが理解できる。

私たちは、ちょっとしたことで感情的になっていた子ども時代から成長するにつれ、大人が人前で泣くことは恥ずかしいことだと「学習」していく。だが筆者は、職業により差はあれど、感動を表に出すことをためらってはいけないと考えている。

すごいものを見て感動できない人が、すごいことをやってのけるとは思えないからだ。

村上春樹 おすすめ本

村上 春樹(むらかみ はるき、1949年1月12日 )

 

⭐️まとめ

村上春樹は、物語として面白い。

幻想を作り出し、別の世界に引き込む。

⭐️

 

 

 

休まず書き続けた 
最初に題名だけがあった 秋成「二世の縁」と重ねて

 

  村上 ちょうど40年前の5月に、群像新人賞をもらいました。授賞式は確か5月8日。会場は新橋の第一ホテルでした。

 ―40年間、現役で出ずっぱり。夏目漱石でも作家活動は10年ほどです。休まず小説を書き続けてきた、本当に珍しい作家ですね。

  村上 10年くらいごとに節目があって、その節目ごとに小説や文章のスタイルが変化してきて、自分でも書いていて飽きなかった。いつも新しい目標があった。それがよかったのではないかな。

 ―その多くの作品の中で文庫が出たばかりの長編「騎士団長殺し」についてまずお聞きしたい。

  ▽響きに惹かれて

  村上 これは題名が最初なんです。もちろんモーツァルトのオペラ「ドン・ジョバンニ」から思いついた題ですが、「騎士団長殺し」という言葉の不思議な、不穏な響きに心を惹(ひ)かれて、そういうタイトルで日本を舞台にした物語が書けないものかと、そこから始まったんです。

 ―題名だけですか。

  村上 「海辺のカフカ」のときもそうですよ。「海辺のカフカ」というタイトルが先にできて、そこからどういう物語ができるだろうかと考えていくんです。だから物語が立ち上がって、実際に書き始めるまでにけっこう時間がかかります。先に題が決まらなかったのは「ノルウェイの森」ぐらいかな。あれは最後まで、題名が決まらなかった。

 ―確か「雨の中の庭」も題の候補だった…。

  村上 それと、今回は上田秋成の「二世(にせ)の縁(えにし)」という物語が、どこかで繫(つな)がらないかと思いました。

 ―「春雨物語」の一話。地中から即身仏(断食死し、ミイラ化した行者)を掘り出す話ですね。

  村上 東北を旅して幾つかのミイラを実際に目にしたことがあります。たまたま京都の古本屋でミイラの作り方みたいな内容の本を見つけて読んだりもしました。

  ▽横にしか歩けない

 ―「海辺のカフカ」にも、上田秋成の「雨月物語」が出てきました。

  村上 秋成は好きです。とくに「二世の縁」が好きなんです。即身仏を掘り出したら、ろくでもないやつになっていたという話。

 上田秋成という人は世の中をすねた人だから、そういう屈折した話を書くんです。ただの怪異譚(たん)ではない。

 ―なるほど。

  村上 僕の父親の実家は京都の浄土宗のお寺です。父親が死んだときに、やはり浄土宗のお寺の住職がお経を読んでくれたんです。その住職と話したら、そのお寺には秋成の墓があるというので、お願いして見せてもらいました。

 見ると、お墓に蟹(かに)が彫ってあるんです。なぜなのかを聞いたら、世の中をすねた秋成が、横にしか歩けないものを墓に彫ってくれと言い残して、死んだんですって。

 ―面白い話。

  村上 秋成は晩年、そこの寺でちょっとお世話になっていたようです。

  ▽暗闇の魑魅魍魎

 ―その秋成「二世の縁」と「騎士団長殺し」が重なっていく…。「騎士団長殺し」は、主人公が住む家の敷地内の雑木林を掘ると、昔にあった「穴」が出現する物語。

 

2018年11月4日撮影、東京都新宿区の早稲田大学
 村上 僕が書く話は、無意識というか潜在意識というか、意識の底にあるものを探究していくことが、自然にテーマになってしまいます。意識を掘っていくと、その底にあるのは一種の魑魅魍魎(ちみもうりょう)です。そういう暗闇の中から何を引っ張り出してくるのかというのは、最終的には勘に頼るしかないですよね。意識を集中して勘に身を任せるしかない。ロジックやら前例に頼っているわけにはいきません。ある意味危険なものですから。

 「羊をめぐる冒険」では「羊男」でした。「ねじまき鳥クロニクル」では「井戸から〈壁抜け〉していったところにある世界」でしたし、「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」では「やみくろ」でした。

 今度は「騎士団長」が出てきたわけです。

 

過去からのメッセンジャー

人間ならざる存在  ズレ方と重なり方に興味
 

 ―騎士団長が登場する場面を心待ちにして読みました。身長60センチほどで、かわいいですね。
 

  村上 あまり大きいと扱いがたいへんなんです。どうしても威嚇的になりますしね。小さい方がコンパクトで、集中的で扱いやすいんですよ。すべてのサイズが均等に縮小されている。一つの存在ではあるけれど、日常からは隔絶されている。

 ―「海辺のカフカ」ではフライドチキン店の人形であるカーネル・サンダーズやジョニー・ウォーカーという人間ならざる存在が登場しました。でも、これだけしばしば登場して、物語を動かしていく人間ならざる存在は初めてです。

  村上 確かに、騎士団長のようにずっと出てくるのはなかったですね。

 ―その騎士団長は自分は「イデア」だと宣言しています。つまり「観念」だ、と言っている。

  ▽オルター・エゴ

  村上 その通りなんですが、意味を一つに固定するのは無理があると思います。書き終えてから思うことですが、騎士団長は登場人物たちのオルター・エゴ(分身)の集合体かなとも思うんです。それぞれの人物の違う側面を映す鏡のようなものかもしれない。

 それともう一つは、歴史的な繫がりというか、過去からのメッセンジャーかもしれない。ただし、そういうのはどれもみんな一つの可能性であって、正解は僕にもわからない。読者にそれぞれ考えてもらうしかない。

 ―中立的な存在のように書かれていました。

  村上 善なる存在とは言いませんが、悪ではないですよね。そういう価値観を超越した「導く者」でもあると思います。そして誰にでも見えるものではない。見えるものにしか見えない。

 ―その騎士団長の言葉遣いが印象的。「あらない」という言葉をつかうし、相手が1人しかいないのに、いつも「諸君」と語りかけています。

  村上 そういうのをどう訳せばいいのか、翻訳者たちはずいぶん困ったみたいです。

 ―常に「諸君」と語りかけられる主人公は、騎士団長には「二人称単数」がないみたいだと感じている。そして「あらない」は「ある」の否定形で、やっぱり観念的な存在だと思わせる言葉です。

  ▽ニヒト・ザイン

  村上 そうです。ドイツ語の哲学書の翻訳書みたいな感覚もありますね。「あらない」はドイツ語の「ニヒト・ザイン」(存在しない)という感じですかね。僕は翻訳をずっとやっているので、一つの言葉をいろんな形に置き換えることは割と慣れています。だから自然とそういうものが浮かんでくるのかもしれない。言葉の響きって、僕にとってはすごく大事なんです。音楽の影響もあるかもしれないけど。

 ―たくさん翻訳もやり、海外に行くことも多い。長期間、外国に滞在したこともある。でも村上作品の長編はすべて日本を舞台に書かれてきました。この「騎士団長殺し」も日本が舞台です。

  村上 僕は、「内なるもの」と「外なるもの」とを入れ替えていくことに興味があるのかもしれない。例えばこの小説では、西欧的であるはずの「騎士団長」が、日本の飛鳥時代の衣装で登場します。だから読者もこれはいったい何だろうと、その違和感に興味を持ちます。彼が「ドン・ジョバンニ」そのままの格好で出てきたら話にならないですよ。

  ▽移行可能な文化

 ―確かにそうかも。

  村上 僕がデビューした頃は、海外渡航ものみたいな作品が多かった。でも僕はそういうものにはあまり気持ちを惹かれなかった。それよりは意味の交換作業みたいなものに興味があったんです。精神的物々交換というか。そのためには小説言語の洗い直しが必要でした。既成の文体ではそんなことはとてもできなかったから。

 ―その日本を舞台にした作品が、海外に翻訳されていくわけですね。

  村上 古代日本の衣装をまとった騎士団長という「イデア」「観念」が、文化の違いがあっても移行可能であるということだと思います。

 一方で同じ観念であっても、それが根付く土壌によって、意味の違いが出てくる。そのズレ方と重なり方というものに興味を持って書いているのです。(聞き手は文芸評論家・湯川豊氏、共同通信編集委員・小山鉄郎)

 

あらすじ「騎士団長殺し

 肖像画家で、36歳の「私」は、ある日、妻から別れ話を告げられて家を出る。新潟、北海道、東北を車で移動した後、友人の父で高名な日本画家・雨田具彦が使っていた小田原郊外の家に住む。
 この家の屋根裏から雨田が描いた絵「騎士団長殺し」を見つけるところから物語が動きだす。近くに住む謎の資産家・免色渉や、その娘かと思われる13歳のまりえらの肖像画を「私」が描いていくという静かな物語の中に、雨田が関わったナチス・ドイツによるオーストリア併合や雨田の弟が関わった南京大虐殺と呼ばれる戦争中の出来事が重なって進んでいく。
 絵から抜け出てきたような騎士団長とは何なのか。家の敷地内に出現した穴とは何か。妻と「私」はどのようにして関係を回復していくのか。それらを巡って物語が進む。

 

村上春樹さんの略歴

 むらかみ・はるき 1949年京都市生まれ。早稲田大卒。79年「風の歌を聴け」でデビュー。「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」で谷崎潤一郎賞。「ノルウェイの森」が大ベストセラーに。地下鉄サリン事件の被害者たちに聞いたノンフィクション「アンダーグラウンド」もある。フランツ・カフカ賞エルサレム賞カタルーニャ国際賞、ウェルト文学賞アンデルセン文学賞など海外の賞も多数受賞。他の長編に「羊をめぐる冒険」「ねじまき鳥クロニクル」「海辺のカフカ」「1Q84」「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」など。最新長編「騎士団長殺し」を2017年に刊行。昨年英語版も刊行。

 

 

風の歌を聴け
講談社
1979年7月23日

1973年のピンボール
講談社
1980年6月17日


羊をめぐる冒険
講談社
1982年10月13日


世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド
新潮社
1985年6月15日
 
ノルウェイの森
講談社
1987年9月4日

ダンス・ダンス・ダンス
講談社
1988年10月13日

国境の南、太陽の西
講談社
1992年10月5日
 
ねじまき鳥クロニクル
第1部 泥棒かささぎ
新潮社
1994年4月12日


第2部 予言する鳥編
新潮社
1994年4月12日
 
第3部 鳥刺し男編
新潮社
1995年8月25日
 
スプートニクの恋人
講談社
1999年4月20日
 
海辺のカフカ
新潮社
2002年9月10日


アフターダーク
講談社
2004年9月7日
 
1Q84
BOOK 1
新潮社
2009年5月30日


BOOK 2
新潮社
2009年5月30日
 
BOOK 3
新潮社
2010年4月16日
 
色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年
文藝春秋
2013年4月12日
 
騎士団長殺し
第1部 顕れるイデア
新潮社
2017年2月24日
 
第2部 遷ろうメタファー編
新潮社
2017年2月24日